長男が自閉症と診断された20年前。明けても暮れても、考えるのはそのことばかり…。苦しい心を必死で祈願し、周りの方に支えていただきながらの20年でした。
23歳になった息子は、障害者枠で清掃の仕事を始めました。親としても一安心、と思っていたら、強迫症状が出てきたのです。スーパーの陳列棚に手が当たっただけで、「どうしよう。訴えられる」。自転車での通勤途中にも、「車にクラクションを鳴らされた。訴えられる」と、不安そうな声で電話をかけてきます。「大丈夫よ」と返した私に、「本当に?」と何度も聞き返す長男は、家に帰ってもその繰り返し。ついに私も我慢の限界。夫まで、「何度も同じこと言うな」と叱るようになっていました。
二つの心の欠けに気付く
どうしたら息子が安心するのか。我慢して話を聞き続ければいいのか…。神の教えが二つのことに気付かせてくれました。
一つは、息子の話を「真剣に」聞いていなかったことです。明るく「訴えられたりしないよ、大丈夫」と言っていましたが、息子にしてみれば、本当に困っているから私を頼っているわけです。その心に寄り添って、どうしたらいいのか「真剣に」考えていなかったのです。
もう一つは、夫ときちんと話し合えていなかったことです。相談したら、夫が余計にガツンと息子に言うかも…という不安があったのです。でも、いつも夫は、夫なりに何とかしたいと考えてくれる人です。もっと「素直に」頼ればよかったのです。
見えてきた息子の心、親の心
二つの気付きを頂いて、あるアイデアが浮かびました。息子が高校生の時、一緒に自転車に乗って、通学の練習をしたことを思い出し、夫に相談して、一緒に通勤を始めることにしたのです。息子が前を走り、私が後ろ。時々、私の方を振り返りながらこぐ息子の顔はうれしそうで、何ともいとおしいです。汗だくになりながら、愚痴一つ言わずに出勤していることを初めて知りました。
息子の背中を見ながら、よみがえってきた思い出があります。私が子供の頃、母と保育所に行く道すがら、木の実を取ってほしくておねだりしました。母は、いつも笑顔で「はいっ」と渡してくれました。母が私を愛してくれたように、私も息子に愛をかけていきたい…。そんなことを思いながら、自転車をこいでいました。
心底から感じる家族の大切さ
仕事から帰った息子に、「暑かったやろ。頑張ったね」と声を掛けると、「うん!」とニコッとします。その笑顔と連動するかのように、「訴えられる?」も、電話も明らかに減ってきています。
今の家族のメンバーは、今、必要だからここにいる。我が家も、長男がいたから、家族が一つに結束できました。いろいろな人に助けていただいて、たくさん感謝の心が持てました。人生の原点は家族。その大切さに気付かせていただいた思いです。
夫婦二人で「教え」を学ぶほど 親それぞれの任と立場に気付きが深まり
親(両親)の思いが我が子の人生を支え 「心の道」に重なる心を育んでゆく
我が子の自立を正しく導く 親(両親)の心(姿)と申す
夫婦二人で「教え」を学ぶほど
親それぞれの任と立場に
気付きが深まり
親(両親)の思いが
我が子の人生を支え
「心の道」に重なる心を育んでゆく
我が子の自立を正しく導く
親(両親)の心(姿)と申す
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』43ページ(中略あり)