次男が結婚し、我が家の近所に家を建てることに。うれしい半面、一つだけ気になることがありました。息子たちは、結婚前から何でもお嫁さんの両親と決めて、私には事後報告なのです。うちは夫がいないから、向こう優先なのは当たり前。2人が仕合せならそれでいいと思っていました。寂しい気持ちを我慢しながら…。
いろいろな本音が交錯して
しかし、その我慢にも限界が訪れ、思い切って、息子に「大切なことは、前もってお母さんにも聞いてほしい」と伝えました。それ以来、息子は相談してくれるようになりましたが、私の心はスッキリしませんでした。
本当は、お嫁さんとも仲良くしたいのです。一方、かつて自分が嫁いだ時、近所の身内との関係で悩んだので、付かず離れずの「いい感じの距離感」でいたいというのも本音でした。
我慢ではなく愛の心で関わる
家が近い、遠いという物理的な距離ではない「心の距離感」。その大切さを神の教えで知りました。息子夫婦のことは「見守る」と決めていたものの、その心の裏の裏に潜んでいた寂しさ、つらさ、そして我慢の心。それらが邪魔をして、「自分から」縁を深める気持ちが欠けていたことに気付いたのです。
本心では仲良くしたいのに、無意識に心の距離を置きかけていた私です。相手が返しやすい言葉を使えるように、愛の心で関わっていけるようにと、祈願していきました。
そんな時、野菜をお裾分けする前に、「お嫁さんはどう思うかな」と、ふっと心が動きました。「作った野菜があるんだけど、要る?」と聞くと、「じゃがいもは実家からもらったので大丈夫です。でも、とうもろこしは大好きなので頂きたいです」と返ってきました。以前の、我慢しながら何でもないように振る舞っていた頃とはまるで違う、心地よさを感じました。
正しく「見守る」自分に
お嫁さんが自分の実家に帰るとき、「少し留守にするので、よろしくお願いします」と、挨拶に来てくれるようになりました。このたび子供を授かり、「きょうは病院に行ってきました」と、赤ちゃんのエコー写真を見せてくれることもあります。ただの交流ではなく、お互いを思い合う関係に変わってきたことがうれしく、私にとっては「かわいいお嫁さん」です。
息子は、「この前、お母さんにはこう言われたけど、2人で相談して、こうしようと思ってる」などと、一つ一つ報告してくれます。「2人で決めたならそれでいいよ」と、我慢ではなく心から言える私がいて、本当の「見守る心」が分かった思いです。
おまけにうれしいのは、これまではあまり関わりのなかったお嫁さんのご両親とも、良い交流が持てていることです。自分が濁りのない愛の心で関わっていけば、ちゃんと愛が返ってくる真理。ことしは、いろいろなことに気付ける不思議な一年です。
「教え」を学び 「人生」に生かす我であれ
愛心を前面に 人の心を受け止め 寄り添い 互いに声掛け合って 「生きる」が人生
そこに 必ず良き出会いが生まれ 生きがいあふれる時となる
「教え」を学び
「人生」に生かす我であれ
愛心を前面に
人の心を受け止め 寄り添い
互いに声掛け合って
「生きる」が人生
そこに 必ず良き出会いが生まれ
生きがいあふれる時となる
『真実の光・神示 平成30年版』89ページ(中略あり)