「足が重くてだるい」と訴え出した妻。幾つも病院に行きましたが、異常はなく、時がたてば良くなるだろうと安易に考えていた私でした。ところが、そのうち妻は悲痛な声を上げるようになり、初めてただ事ではないと気付いたのです。
思えば数年前から、私の実家で認知症の母との同居が始まり、妻はその世話をしながら、友人もいない土地で料理教室を始め、必死に頑張ってくれていました。そのストレスが今、症状となって現れていたように思います。
一人の病気も夫婦の病気
「妻に何とか立ち直ってほしい」という一心で、2人で教務相談を受けました。そこで初めて、夫婦の病気は「2人の問題」として向き合うことが、解決への糸口になると知りました。私は、どこかで「妻の心の問題」と捉えていたのです。
2人の問題とはどういうことか、『理知の真理』を読みながら思いを巡らせました。「もし、私が妻の立場だったら?」。教えを学ぼうと言われるより、「まずはつらさを分かってほしい」と思うでしょう。それなのに、私は「痛い」と叫ぶ妻に、口には出さずとも「またか…」と責める心まで出ていたのです。
でも、妻は真逆でした。10年ほど前、私は上司の連日の叱責に耐えきれず、退職を考えたことがあります。「あの時、妻はどう思っていたか?」。相当不安だっただろうに、ひと言も責めることなく、「つらいね。そんなにつらいなら辞めてもいいよ」と言ってくれました。そのひと言が支えになって、今も同じ仕事を続けられているのです。忘れていた「妻目線」を取り戻せてきました。
お互い「二人三脚」の思いで
「痛い」と言う妻に掛ける言葉は、「痛いよね、一緒に頑張ろう」。体の痛みは分かち合えなくても、心は二人三脚。そうなってきた頃から、妻の足の痛みが和らぎ始めたのです。台所にも立てるようになり、休んでいた料理教室も、今では再開できました。
妻と私、お互いの心と心をしっかり結び付けて、喜びも、悲しみも、痛みも何でも共有、共感。常に二人三脚で人生を紡いでいく所存です。
妻より
夫が帰ってくるなり、「お帰りなさい」の前に、「きょうも痛くて、痛くて」とつらさをぶちまけていた私です。教務相談で「2人の問題」と言われた時、随分独り善がりでキリキリしてきたと反省しました。「一人でしなくちゃ」をやめて夫を頼り、「ありがとう」が増えるほど、心も足も軽くなっていきました。私も夫と同じ「二人三脚」の気持ちで、心を支えていけたらと思います。
心(運命)と体(実体)の調和に 真実の「健康」生活が送れる
真実の「健康」は
実体を共有する家族の心(運命)が重なり 補い合う家庭に生(な)る
心(運命)と体(実体)の調和に
真実の「健康」生活が送れる
真実の「健康」は
実体を共有する
家族の心(運命)が重なり
補い合う家庭に生(な)る
『真実の光・神示 平成30年版』15ページ(中略あり)