「夫が定年を迎えたら離婚」と夫婦で決めていました。大きな問題があったわけではなく、小さな不満の蓄積です。夫は何でも事後報告で、私が何か相談すると「そんなことで悩む気持ちが分からない」と一蹴。「夫の中に私はいないんだな」。子供たちが自立し、夫婦の時間が増えるほど、むなしさが膨らみました。夫が視界に入るのも嫌で、あんなに好きで結婚したのにこんなに嫌いになれるんだ…と思ったものです。
転機は思いがけないところから
暗いトンネルの中を、一人とぼとぼ歩いているようでした。そんな中、家族でコロナに感染。一気に不安になる私に、夫は「大丈夫、ちゃんと良くなる。心配し過ぎは体に良くないよ」と楽観的に励ましてくれ、その時は、なぜか本当に安心したのです。
神の教えに出てくるたびに、目を背けてきた「夫婦」「家庭」の文字。そこに目が向き始めました。「私は夫に尽くし抜いてきた」。この自信は打ち砕かれ、「夫を思いどおりにしたかった」という自分都合の本心があぶり出されたのです。「求めている答えが返ってこないから、夫とは重ならない」と思っていましたが、それなら「何でそう思うの?」と聞けばいいだけ…。こんな簡単なひと言が、言えなかったのです。
「どうしてそう思うの?」の問い掛けから見えてきた夫の本心。「私のことを心配していたんだ」「気を使ってくれてるんだ」。夫の中に、ちゃんと私の存在はありました。毎日、神に「残りの人生、夫と一緒にいたくありません」と祈願していたのが、「心から夫に寄り添える自分になりたい」「言い方がきついところを直したい」と祈願するようになっていきました。
「新たにスタート」の気持ちで
少しずつ、でも確かに変わった私の心。それを夫に伝えると、男泣きしていました。そして、先月、何と光輪の儀(結婚記念)を家族全員で受けることができたのです。夫が定年を迎えるまであと1年。ここ数年、離婚話しかしてこなかった私たちが、「これからも一緒にやっていきたい」という思いを、神の御前で誓わせていただいたのです。
心配性の私と、楽観的な夫。それはそれで釣り合いが取れていて、それが夫の良さだと、最近とても思います。離婚寸前のところから、神の愛で大きく救っていただいた私たち夫婦。夫は「もっと神の教えを学んで、もっと仕合せになろう」と言います。夫婦で気持ちも新たに再スタートです。
※この方のご主人の「喜びの声」も、併せてご覧ください。
仕合せ 幸福手にするために 人間は 和のある家庭に「生きる」こと(真実)が必要
家庭の価値と尊さを 「教え」を通し 気付いてほしい
気付いて 「教え」を家族で学ぶ
そこに 家族の心は一つに重なり 関わりを深める
――仕合せの基は 和のある家庭――
仕合せ 幸福手にするために
人間は 和のある家庭に
「生きる」こと(真実)が必要
家庭の価値と尊さを
「教え」を通し 気付いてほしい
気付いて 「教え」を家族で学ぶ
そこに 家族の心は一つに重なり
関わりを深める
――仕合せの基は 和のある家庭――
『真実の光・神示 令和2年版』95ページ(中略あり)