No. 668

自分や娘を仕合せに導いた
人生一番の選択
(茨城県HS/70代男性/無職)

70歳の節目に、神魂の儀(長寿の祝い)が行われました。婿や孫など、総勢十人もが参列。うれしくてうれしくて、思い出に残る最高の記念日になりました。思えばこれまで、山あり谷あり…。神と出会わなければ、こんな日を迎えることはできなかったと思います。

神の教えが心の支えに

娘たちが小学生の時に離婚し、私と子供二人との生活が始まりました。仕事に、家事、父の介護、学校行事やPTA…と寝る暇もない毎日。冬は手荒れで血がにじみ、泡立て器で米を研いだこともあったのです。仕事でつらい目に遭っても、弱音など吐いていられません。駆け込み寺のように教会に足を運んでは、頑張る力や希望を頂く繰り返しでした。神の教えを学び、「頂いた仕事に精いっぱい取り組むだけだ」と前向きになれたおかげで、乗り越えてこられました。

ただ現実は厳しく、子供が熱を出せば仕事を早退せざるを得ないことも。人の助けや情けをたくさん頂き、神が「人は一人では生きられない」と言われることが身に染みたものです。そうした中で、料理人の私は、どんなに忙しくても食事を作ってやれたことが、我が子への愛情表現であり、父としての誇りでした。

次女が反抗し始めた時は接し方に悩み、教務相談へ。痛感したのは、愛情不足だったこと。多忙とはいえ、寂しい思いをさせたことを反省し、娘に「俺が立派に育てるから」と伝え、できる限りの愛をかけようと努めたのです。思いが伝わったのか、次女は私に謝り、社会人となってからは人が変わったように仕事に励みました。そうして二人とも立派に成長し、結婚して仕合せな家庭を築けたことに心から安堵(あんど)しています。

道を誤らずに済んだから

苦しい時、迷う時、世の中には多くの選択肢がありますが、私はいつも神の教えを軸に正しい判断ができました。つらければ神に訴え、汚れた心は教えで磨く。道を誤らずに生きてくることができたのです。

信者となって35年余り、神を信じて付いてきてよかった! これこそが、私の人生における一番の正しい選択です。

ゆったりと仕合せな日々を

たまに、娘たちの家で料理を作ると、みんなが「おいしい」と、うれしそうに食べてくれます。それだけで仕合せでなりません。一人暮らしの私を心配して住みやすい家にリフォームもしてくれて、娘たちの優しさが心に染みます。

ウオーキング中にきれいな空を見上げては、「生きているんだなあ」としみじみ感じるきょうこの頃。空に感動し、生きていることに感謝できる…。激動の日々を終え、今、人生をゆったりと振り返り、仕合せを感じられることがありがたいです。

娘たちより

家庭を持って初めて、お父さんのすごさが分かりました。男手一つで娘二人を育てるのも大変なのに、祖父の介護や学校行事などにも参加してくれて、何でも完璧にこなすスーパーお父さんは、親のかがみです。悩んだ時は一緒に向き合って、真剣に答えてくれたことも、感謝しかありません。お父さんの料理は何でもおいしく、みんなで食べられることが、とても仕合せです。

神示で確認 「喜び」の仕組み

心素直に「教え」を学び 「生きる」心の指針とするのである
仕合せとは何か 正しく「生きる」人生の姿(正道)が神示にある
 神示に悟りを深め 信念として心に据えたとき 「生きる」喜びと誇りが持てる

『真実の光・神示 平成26年版』97ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

心素直に「教え」を学び
  「生きる」心の指針とするのである
仕合せとは何か
  正しく「生きる」
    人生の姿(正道)が神示にある
 神示に悟りを深め
  信念として心に据えたとき
    「生きる」喜びと誇りが持てる

『真実の光・神示 平成26年版』97ページ(中略あり)