No. 641

心遣いの「ケチ」に気付く
面白いくらい変わった毎日
(宮城県YS/40代女性/派遣社員)

面白いくらいにまるで変わった私の人生。そのきっかけは、職場の朝礼で、私一人、ミスを指摘されたことでした。同僚だってミスしているのに。私は真面目にやっているのに…。もともと感情にムラがある私は、こうなると大変です。職場に行ったら絶対に泣いてしまう。「辞めたい」と言いそう。仕事を休んでしまいました。

私の心にあったものは?

その時に神の教えを学び、ある事例が心に残りました。食卓で「おしょうゆ取って」と言われて、「自分で取れば」と返すのは小さな了見で生きている…という内容。「ピン!」ときました。私は「人への心遣いをケチっていた」のです。

細かいことに気が付く私は、仕事もテキパキこなしていたつもりです。しかし、それは形だけ。心では、「みんなもっとやってよ。何で私ばっかり」と思っていました。「自分にできることは、自分がやればいい」。シンプルな話なのに、私自身が事を複雑にしていたのです。厄介なのは、「ふてくされグセ」まであったことです。一番の被害者は夫でした。不満がたまるとプイッとすねて、口も利かなかったからです。

素直にやってみると…

考えてみれば、教えを学んでも「私には無理。できない」と、ふてくされグセが出ていました。これじゃ駄目だ、変わりたい。「教えの実践は家庭から」を素直にやってみることにしました。

夫が夜遅く帰宅すれば、さっと夕食を温めて、おいしく食べられるように…。当番制の食器洗いも、夫が疲れていたら、「私がやるよ」と、心遣いのケチをやめました。できないときは、「やってくれる?」と夫を頼ったり、仕事の悩みを打ち明けたり。優しく聞いてもらい、心が救われました。

求める前に、まずは自分から

「できることを無理なくやっていこう」と、仕事も一から出直す気持ちでスタートです。気持ちが軽くなったからか、いろいろ目に付いても、「私が気付いたからやればいっか」とすぐに取り組めます。心遣いをケチらなければ、細かいことに気が付くところを、「良さ」として発揮できると気付いたのです。

「私、やっとくね」のひと声。前はこれを言わずに、一人ふてくされていました。でも、この言葉を伝えるだけで、周りも「ごめんね」「みんなにも声掛けるね」と言ってくれ、仕事がスムーズなのです。

以前は、夫が帰宅しても、他のことをしながら口だけ「お帰り」と言っていましたが、今は顔を見て話し掛けます。「あ、疲れているな」とすぐ察知できて、「おいしいご飯を出そう」と、その後の行動も変わりました。夫もうれしそう…。心遣いをケチっていたから味わえなかった喜びを、今、たくさん頂いています。

神示で確認 「喜び」の仕組み

我の心素直になって 家族 友人 知人との出会いを生かすべし
 そこに自然と 心ゆったりできる
    生きる尊さも見えてくる
 日々心穏やかに ゆったり生きてこそ 生きがい 喜び 楽しさが味わえるのである

『真実の光・神示 平成17年版』30ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

我の心素直になって
    家族 友人 知人との
      出会いを生かすべし
 そこに自然と 心ゆったりできる
    生きる尊さも見えてくる
 日々心穏やかに ゆったり生きてこそ
    生きがい 喜び 楽しさが
      味わえるのである

『真実の光・神示 平成17年版』30ページ(中略あり)

 

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