( 福岡県TN/70代男性/無職)
私は、妻と二人暮らしです。子供のいない寂しさがあっても、夫婦で神の教えを学び、支え合ってきました。その一方、短気で生真面目な私は曲がったことが許せず、相手を責め、妻とささいなことでぶつかってきたのです。仕合せの基本は和のある家庭にあると学んでいながら、妻には申し訳なかったと思っています。
神が見守ってくださっている、だから教えを実践しようと取り組むうちに、穏やかな心で暮らせるありがたさを感じるようになりました。そして、「これからの人生も夫婦そろって、神と歩んでいきたい」と強く思いました。儀式を受け、その思いを神に語り掛けていると、長年の子供がいないつらさが流れ、何とも言えない安心感が生まれたのです。
ちょうど同じ時期に、前立腺がんの疑いが浮上。転移の可能性もあるとのことでしたが、不思議とどんな状況も受け入れようと冷静でした。妻とも、「夫婦で心を重ね、医師を信頼して治療に当たろう」と話し合いました。検査の結果は、「がんの所見なし」と医師も不思議がる状況に。ほっとして夫婦で喜び合いました。
儀式と病の宣告の時期が重なったこともあり、神に第二の人生を頂いたような思いです。妻への感謝が深まり、何があっても夫婦で乗り越えていける気持ちに到達できた喜びでいっぱいです。