(長崎県FS/70代女性/介護施設職員)
実家を離れて就職した子供から、「性同一性障害の治療を受けている」と連絡がありました。どれほど動揺したか知れません。「そんなはずがない」「明るい子に戻ってほしい」という思いで何度も連絡したり、「離婚して苦労しながらも、一生懸命育ててきたのに」と絶望的になったりしました。
神の教えを学んでみて分かったのは、「私が動揺しても、何の解決にもならない」ということです。娘は、既に社会の中で自立し、しっかり働き、責任を取れる大人。そう考えた時、「どう支えたらよいのか?」と、それまでと異なる角度から、この出来事を見詰められたのです。
病名も、最初は受け止められませんでした。でも、ある時気付いたのです。一重まぶたの人が二重まぶたに憧れるように、人間誰しも受け入れられない部分があるもの。我が子が自分の性別を受け入れられないのもそれと同じなのに、病名にこだわっていたことを反省しました。
「親として娘をもっと愛そう」と心に決めました。苦しい状況の中、初めてどっしりした気持ちで娘と向き合えたことが、どれほどありがたかったか知れません。治療の経過に一喜一憂しながらも、「あなたが元気で頑張っていることがうれしい」と、本気で思いを伝えることができました。
かつて、何を言っても返事がなく、不安になるたびに神に心を打ち明け、苦しみ、悩んだ日々があります。でも、今は、「元気?」「きょうは、これがおいしかったよ」などと何げないメールを送ると、「夜勤で返信ができなくてごめんね」「元気そうでよかった」と、必ず返事をくれます。時間はかかりましたが、温かい親子のやりとりができるようになりました。一番苦しいのは、治そうとしている本人のはずです。力強く、温かく支えていってやりたいと思っています。
※この後に味わった奇跡も掲載されました。