糖尿病、肺炎、心筋梗塞…と病ばかりの私と違い、妻は医者とは無縁の人生。その妻に肝内胆管がんが発見されたのは、2年前のことでした。しかも肝臓に転移し、手術は不可能。あんなに健康だったのになぜ? 言いようのない不安が心を埋め尽くしました。必死で神に訴え、「今度は自分が支える番」と気持ちを奮い立たせました。
生きる希望が枯れない奇跡
子供のいない私たちです。夫婦二人の闘病生活が始まりました。入院中は、妻から食べたい物を次々リクエストされ、心からいとおしく思いました。二人で散歩もしました。手をつないで、妻の歩調に合わせてゆっくりと…。妻は、いつも感謝を欠かしませんでした。「私、病気をして初めて分かったの。あなたがいなかったら生きていけない。ありがたいんだあ」と、何度も言ってくれました。「夫婦の絆が深まっている」確かな実感がありました。
余命を宣告されても、妻は生きる希望を失いませんでした。リハビリに励み、容体が急変しても、一つ一つ奇跡的に乗り越えていくのです。生命力の強さに驚きました。「あなたが待っているから、元気になって家に帰るからね」体が弱っても、この言葉だけは、絞り出すように言っていました。「生きる希望を失わない」これこそが本当の奇跡。「この神はすごい。本物だ」と確信しました。
一つ一つが神のご守護の中
昨年11月、妻は静かに80年の人生を終えました。覚悟はしていたものの、心にぽっかり穴が空き、気力を失いました。そんな私に信者仲間が声を掛けてくれて、明魂祭(後日に行う教会葬儀)を受けることにしたのです。
儀式までの間、いろいろ考えました。ずっと拭えなかった「なぜ妻が…」という思い。でも、病ばかりだった自分が妻に尽くせたことも、最後の最後まで夫婦で楽しく過ごせたことも、一つ一つがご守護の中だった…と、ふと感じたのです。全てに感謝が込み上げてきました。
「心が変わる」不思議な体験
儀式には知人が大勢参列してくれ、妻が我が子のようにかわいがっていた信者仲間も駆け付けてくれました。感謝の言葉を述べる場面で、私は手紙を読みました。涙があふれて文字が見えません。でも、素直な気持ちがするする出てきたのです。自分でも不思議な体験でした。神の御前で受ける儀式だからこそ、味わえたものと思います。
あれほど寂しかった思いが消え、今、温かいものに包まれている感覚です。毎日服用していた安定剤を飲まなくても、朝、爽やかに起きられるのです。これから何が起きても大丈夫。神から絶対に心を離さず生きていきます。
神示で確認 「喜び」の仕組み
日々神魂に心重ねて生きるなら 人は誰も心明るく 強く生きられる
心豊かにゆったりと 人生歩んで 迎える晩年悔いはなし
この姿を「真の幸福」手にした者と申す
『真実の光・神示 平成17年版』76ページ
神示で確認 「喜び」の仕組み
日々神魂に心重ねて生きるなら
人は誰も心明るく 強く生きられる
心豊かにゆったりと 人生歩んで
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この姿を
「真の幸福」手にした者と申す
『真実の光・神示 平成17年版』76ページ