昨年11月に旅立った夫の遺品を片付けていると、携帯電話に写真がたくさん残っていました。家に飾っていた季節の花や外の景色など…。「神に出会って心がきれいになった」が口癖でしたが、「本当にそうだな」と、涙が出ました。
漁師だった夫と出会ったのは16年前。妻子と別れて一人暮らし、仲間と出港の時間までお酒を飲んでいるような人でした。「体も、人生も大事にしないともったいないよ」と、声を掛けました。そう言う私も、家庭を手放しています。数年後、私たちは60半ばで再婚しました。
人の優しさで夫の良いところが
「今度こそ、最後まで添い遂げよう」と約束しました。「そのために、神に守っていただこう」と言うと、夫は信者になってくれ、毎月連れ立って神の館に行くようになりました。信者仲間に笑顔で迎えられ、人の優しさを味わったのでしょう。「みんなと話しているといいものが出てくる」と言い、その言葉どおり、穏やかになり、笑顔が増えて、すごく変わりました。薄味の食事に文句を言うことがなくなり、「死んでも吸う」と言っていたたばこもやめました。知人が悩んでいるのを知ると、「神様の所に行こう。心がきれいになるから」と一生懸命誘います。その頃には、夫の『友輪』は、赤ペンの書き込みがいっぱいでした。
仕合せな毎日に子供への思いが
夫婦二人の生活は仕合せいっぱいだったものの、それぞれに、残してきた子供たちのことが気掛かりでした。離れていても親子は「心の道」でつながっていること。親である自分たちが良い生き方をすれば、子供たちに良いものを残せること。神の教えで学び、生涯を神と共に歩むことを誓う明魂登録をしました。
しばらくして、40年前に別れた私の長男から連絡がありました。離婚と失業で、「生きていても仕方がない」と泣くのです。「神と生きれば、人生を立て直せる。絶望からも必ず希望が見える」と言う私の言葉で、長男は信者籍を置きました。「死にたい」と電話がかかってきた時には、夫が「学べば分かる」と力強く励ましてくれました。徐々に落ち着いた長男は、仕事も見つかり、電話で「お母さん」と呼ぶ声が明るくなっていきました。そんな姿に、夫は、自分の子供たちのために教会図書『生命の歩み』を買い求め、「いつか読ませたい」と、目を潤ませました。
旅立った夫に感謝が込み上げて
ある日、夫の具合が悪く、かかりつけの医師に診てもらった後、帰路に就こうとすると、夫が「神の館へ行く」と言いました。「またにしたら?」と言っても、「行きたいんだ」と。それが最後の参拝になりました。
一週間後、夫は大動脈解離を起こし、救急搬送中に亡くなりました。「血管があちこちもろくなっていて、ここまで命があったのが不思議」と聞きました。神は、目には見えないところでもお守りくださっていたのです。
夫の遺品の中に、こんな手紙がありました。「自分は女神に会いました。それは、大山命と妻です。おかげで仕合せです」それを見た瞬間、「夫婦でよかった」と心底思いました。今は、息子が、「これからは、僕がお母さんを支える」と寄り添ってくれています。雪が解けたら、『生命の歩み』を持って、夫の子供たちに会いに行こうと思っています。
神示で確認 「喜び」の仕組み
我の一生 神と共にあり
迎える終日 我の心 神魂に重なる
ああ 我が人生 「大輪の花」を咲かせて 悔いはなし
我の思い 心の道に受け継がれてゆく
『真実の光・神示 平成16年版』66ページ
※神の教えで歩んだ人生は、穏やかな最期を迎え、悔いを残すこともありません。大きく花開いたその生きざまが、家族に受け継がれてゆくのです。それが、神示教会であればこそ味わえる、真実の救いです。
神示で確認 「喜び」の仕組み
我の一生 神と共にあり
迎える終日 我の心 神魂に重なる
ああ 我が人生
「大輪の花」を咲かせて
悔いはなし
我の思い
心の道に受け継がれてゆく
『真実の光・神示 平成16年版』66ページ
※神の教えで歩んだ人生は、穏やかな最期を迎え、悔いを残すこともありません。大きく花開いたその生きざまが、家族に受け継がれてゆくのです。それが、神示教会であればこそ味わえる、真実の救いです。