No. 453

病で両足を失った夫
支え、支えられる仕合せ
(福井県HO/60代女性/パート)

「何もできない病人」夫のことを、そう思っていました。糖尿病を患った夫は、7年前に左足を切断。私が支えなければと、介助も家事も一手に引き受け、ゆとりなどありませんでした。気付けば、夫は部屋に閉じこもり、食事のときに出てくるだけ。息子とは会話もなくなっていました。

一昨年、さらなる問題が我が家を襲いました。夫が右足のカテーテル手術をした後、激痛を訴えるようになり、痛み止めが手放せなくなったのです。「痛みに耐え続けるか、右足を切断するか」医師に選択を迫られ、夫は足の切断を選びました。両足を失う人生…。どれほどの絶望と恐怖があったでしょうか。私がもっと支えなくてはと、気持ちを奮い立たせましたが、苦しさと不安で、もう心は限界でした。

自分が変われば相手が変わる

「私は苦労するために嫁いだの?」という思いまで頭をもたげ、神に必死に救いを求めました。教えも繰り返し学ぶ中で、ふと感じました。私は一人ではない。夫がいて、息子がいる。だから、妻であり、母でいられるのだと…。その感謝もなく、「この家は、私が支えなきゃ!」と一人で気負い、夫や息子の気持ちをないがしろにしていました。

何と横柄だったか。そこに気付いてから、夫に向ける心が変わりました。しょうゆを置く位置一つも、夫が取りやすいように。着替えの準備も、夫が着やすいように。何をするにも、夫の顔が思い浮かぶまでになったのです。

そのうちに、夫が変わってきました。車椅子で大変なのに、空になったティッシュを補充するなど、家の中で気付いたことをどんどんやってくれるのです。以前は無関心だった息子のことも、「もう仕事に行ったのか」などと気に掛けるようになりました。

息子も変わりました。夫が介護タクシーに乗るときなど、率先して手伝ってくれるように…。夫も息子を頼っていて、二人の信頼関係を感じます。私が出掛けているときは、男同士で仲良く過ごしているようで、私が帰宅するなり、夫が会話の内容をうれしそうに話してくれます。

「家族がいる」とは…

「無理しなくていい、普通でいいんだ」と分かりました。今、私が意識しているのは「お願いします」「ありがとう」の言葉です。夫に「仕事に行くから、お留守番お願いします」と言うと、「おー、気を付けて行けよ」と笑顔が返ってきて、それだけで頑張る意欲が湧いてきます。職場での悩みを相談すると、私の性格を考えながらアドバイスしてくれ、ありがたいです。夫は「何もできない病人」ではなかった…。「頼もしい夫」「優しい父」でした。

ある日、夫が旅番組を見ていたので、私も隣に座りました。「ここ、一緒に行ったね」と、二人で思い出を語り合いました。でも、悲壮感は全くありません。込み上げてきたのは、「この人と結婚してよかった!」という喜びだけでした。

家族がいる。それは「支え合える仕合せがある」ことだと思います。今、本当に仕合せです。

神示で確認 「喜び」の仕組み

――真実の救いは心の喜び――
 生きる希望が湧きいでる元は 「愛に包まれた心の安らぎ」
    この宝こそ「命の源」 真実の心の救い
愛ある者に降り注がれる 「不思議な力 活力」と申す

『真実の光・神示 平成7年版』107ページ(中略あり)

※神に心を寄せ、神の教えで生きれば、必ず「愛に包まれた心の安らぎ」が得られます。そこに希望や意欲が湧いてきて、自分の心も、周りの環境も、全てが見事に好転していきます。

神示で確認 「喜び」の仕組み

――真実の救いは心の喜び――
 生きる希望が湧きいでる元は
  「愛に包まれた心の安らぎ」
    この宝こそ「命の源」
      真実の心の救い
愛ある者に降り注がれる
  「不思議な力 活力」と申す

『真実の光・神示 平成7年版』107ページ(中略あり)

※神に心を寄せ、神の教えで生きれば、必ず「愛に包まれた心の安らぎ」が得られます。そこに希望や意欲が湧いてきて、自分の心も、周りの環境も、全てが見事に好転していきます。