決して意見を曲げなかった私
今の建築会社に勤めて十数年がたった頃の私は、技術にも自信が持てて、まるで世の中が分かったかのごとく、高慢な心になっていました。社内では、営業畑の上司の言葉に納得がいかず、常に反発。技術畑の自分の意見を、押し通していたのです。
その頃は、やることなすこと全てが裏目に出ていました。しまいには、大型分譲地に300棟を施工する現場の担当者として、支店から出されてしまったのです。「こんなに頑張っているのに、何で成果が出ないのか…」と悩み、自ら神の教えを求めて、学び始めました。
間違いに気付いて心の修正
学ぶほど、神の教えが胸に深く突き刺さり、「目上である上司に、自我を押し通してきた私の生き方は、間違っていた」と気が付いたのです。道理を欠けば、神も人も守ってくれないのは当然。私には、素直な気持ちで相手の意見に耳を傾け、相手の立場を考えることが必要でした。
それに気付いてからは、周りに必要とされる自分を意識し、神に語っては、自我の強さの修正に努めました。現場の職人さんたちには、上から目線で指摘するより、まずは良いところを認めて褒めました。そこに信頼関係が築けてきたのか、こちらの要望が真っすぐ相手に伝わって、予想以上に品質の良い品が出来上がってくるようになったのです。
誰に対しても変わらない気持ちで触れていると、次第に、意地っ張りで頑固な自分の心の角が取れて、丸くなっていくのが分かりました。人への接し方が変わっていくうちに、職人さんや部下から、仕事以外の家庭の事情などを打ち明けられる場面も増えていきました。そんなときは、自信を持って、真実の神がいられることを語りました。
らせん状に人生が高まる仕合せ
工事は紆余曲折あったものの、見事に完成。高い倍率で完売できました。工事中、何か問題が起きても、神に語りながら進めているとヒントが得られ、職人さんの協力が得られて、不思議と解決しました。
やがて、数人の上司の推薦で昇進。人の力をもって、神が引き上げてくださったと確信しました。その後は、グループ会社の社長として、二十数年間勤めました。周りの人の良いところを引き出し、人のために尽くしたい。そう意識して仕事をしていたら、定年退職の年齢になるたびに、辞めないでほしいと声が掛かりました。73歳となった今も職場で必要とされ、若い人たちと仕事をさせていただいています。
いつも弁当を作り、温かく支えてくれる妻や家族の存在が、全ての原動力と感謝しています。教えで生きれば、多くの人の支えを頂き、らせん階段を上るように人生を高められる。そんな仕合せを、しみじみと味わっている毎日です。