妻が腰の痛みを訴え、病院に行きました。すぐに良くなると思っていましたが、命に関わる状況で、骨を削る手術をすることになったのです。さらに、「足の感覚が戻らない恐れがある」という医師の言葉に、目の前が真っ暗になりました。
息子に話すと、「おやじが頑固で、苦労を掛けるからだ」と衝撃のひと言が…。でも、そのとおりでした。私は、働いて生活を守り、十分尽くしている。だから、妻子は何でも言うことを聞くものと思っていたのです。しかも、それを口に出していました。
家族を「支える」心を決意
これまでの生き方の間違いに気付いて、神の館へ通う日々。職員から、「家族の心を支える姿勢」をアドバイスされ、わびるところはわびて、妻を支えようと気持ちを切り替えられたのです。
入院中の妻には面会できないため、早速、「心配するな」と、手紙で思いを届けました。子供たちには、「一緒に支えてほしい」と頼むと、快く受けてくれました。
手術後、妻の足の感覚が戻らないと分かり、不安になった時も、「退院したら、家族みんなで支えていこう。そうすれば、きっと大丈夫」と心を立て直せたのは、神の教えがあったからです。
頑固な私に考えられない変化が
そんな中、息子が、生後三カ月になる孫の信者籍登録のために、神の館に行きました。その際、家族中ですがる大切さを再認識したようで、「これからは、神へのご挨拶を一緒にしよう」と声を掛けてくれました。
隣に住んでいても、息子家族の家に上がることなどほとんどなかった私が、それ以来、夕方のご挨拶を一緒にし、生活のことも世話してもらうようになりました。
何しろ、妻がいないと、炊飯器も洗濯機も使い方が分からず、ご飯も炊けないのです。何事も妻に任せきりだったのに、感謝していなかった。見えていなかった家族の愛にようやく気付けました。
今では、分からないことは、素直に「教えてほしい」と頼み、「ありがとう」と礼を言うのを忘れません。「若い者の世話にはならない。自分のことは自分でする」と豪語していた私には、考えられない変化です。
退院する妻を温かく迎えたい
妻は明るく過ごしていると、看護師さんから聞きました。私も負けずに、息子家族に助けてもらいながら、妻を迎える準備をしています。
帰ってきたら、まず「わしが支える」と言ってやります。そして、ご飯を炊いて、風呂を沸かし、洗濯もしようと思います。何より、これまでの分、たくさんの「ありがとう」を伝えていきます。