「人のために」。若い頃からこの思いが強かった私は、部活でも青年団でも、人一倍心を尽くしてきました。それなのに、なぜか周りからは「自己中」呼ばわり。空回りばかりのむなしい青年時代でした。
見えた! 空回りばかりする理由
そんな中で出会った妻は、いつも笑顔で、気持ちよく人に役立っていて、まるで漫画の世界にいる人のようでした。その妻の勧めで、私も結婚後、信者になったのです。
神の教えに触れる中で少しずつ見えてきた、「空回りばかりする理由」。「人のために」という私のポリシーの根底にあった思いは、「自分は正しい」「自分の思いどおりにしたい」。気付かないうちに、「人のために」は、「自分のために」という思いにすり替わっていたのです。
私の人生を変えた気付きがもう一つ。「相手にも自分と同じように考えがある」。当たり前のことかもしれませんが、常に「自分は正しい」と思っていた私には、人の考えに耳を傾ける意識はありませんでした。
心の向け方を少し変えるだけで…
「まず聞く」。そして、「自分の考えと照らし合わせてみる」。すると、仕事で意見が対立しても、「やり方が違うだけで、目指しているものは同じだ」などと相手の考えが見えて、「重ね合わせる」ということができるようになっていきました。
周りから「やる気がない」と陰口をたたかれている人にも、やっぱり「話を聞いてみないと分からない」。しっかり会話すれば、その人なりに真剣に向き合っていることが分かり、そこから周りとの関係が一気に修復されたこともありました。仲間からは、「君がみんなに寄り添ってくれるおかげで、組織がうまくいく」とうれしい言葉も。空回りではなく、歯車がかみ合う感覚を生まれて初めて味わったのです。
「For you」にも「For me」にも
神の教えに沿った生き方は、決して自己犠牲や我慢ではなく、「人のため」にも「自分の喜び」にもなる不思議。最近も驚くような体験をしました。「同じ石川に住む地震の被災者の方々に何かできたら…」と思っていたところ、農家の方に「芋を無償で提供するから、被災者に振る舞って」と頼まれ、お役に立てる場を頂いたのです。今は地域の区長やPTA会長の任も頂き、ありがたいことに、「市議会議員に…」とのお声まで掛けていただいています。
かつて「自己中」と言われた私の心の器を大きくしてくれた神の教え。社会に出れば自分を導いてくれる先生はいない中、私にとっては神の教えが「社会で必ず役立つ指針」。教えがあれば、絶対に人生はプラスに変えられる! 声も大に伝えたいです。
喜び多く 楽しい「人生」歩むがために
奉仕心に生きる我を目指せよ
求める思い(気持ち)をまずは抑えて
相手の思いを受けて事をなす
この動き重ねゆくほど
我が心の動きは安定し
互いの「運命」が引き合うのである
「運命」が
互いに寄り添い 重なり合うほど
我が「人生」輝く真実を
今こそ味わうべし
『真実の光・神示 平成22年版』29ページ