母の右肺に水がたまっていると知ったのは、実家に行った昨年のこと。以前、左肺に水がたまったことがあり、今度は右と聞いてショックでした。
折々に出てくる責める心
苦しそうな母を見ていると、弟に任せていたのに…と責める心が出てきました。その上、父が母に対して、「洗濯をちゃんとせえ」「運動不足じゃけん。散歩せえ」と強い口調で言うので、ついに気持ちが爆発。「お父さんがダメダメ言うから、ダメなんよ」。父の矛先が今度は私に向いて、我の強い者同士、どこまでも思いをぶつけ合ったのでした。
家に戻り、神の教えを学ぶにつれて感じたのは、父の思いです。「母に長生きしてほしいんだろうな」頭では分かるのに、父を責めてしまった自分。両親のことを弟に任せきりで、関わる心が薄かった自分。それなのに、思いやるどころか、出てくるのは“責める心”ばかり。これこそ改めなければならない私の課題と、痛感しました。
家族で学ぶ大切さが身に染みて
次に実家へ行った時、初めてみんなで偉光会館で勉強会に出席。すると、家に帰るなり、父が泣きながら話し出したのです。「キツイ言葉を言っとったわしが悪かった。すぐにはできんかもしれんが、優しい話し方をしたい」。ほんわかとした空気が流れて、心もほわっと温かくなりました。家族で学ぶと、こうなれるんだ。神が繰り返し言われる「家族で学ぶ大切さ」が、身に染みた思いでした。
ある時、父がいつものようにがーがー言ってきました。前回の失敗が痛く心に刺さっていた私は、「ちゃんと聞こう」と向き合う気持ちに。穏やかに耳を傾けると、何が言いたいのかが分かりました。「これが知りたい」「これを見ると分かるよ」。「文字が小さい!」不機嫌に言われても、父には見えないのだろうと受け止められて、大きくコピー。“責める心”が出ないと、驚くほど穏やかにやりとりができました。
私が変わったら、夫も変わった
以前の私は、父ががーっと来れば、「また文句でしょ」といった先入観があって、ちゃんと聞いてなかったのです。それは夫にも同じ。「どうせこう言われるに決まってる」と決め付け、話し掛けられているのに「でも」「だって」とバンバン返す。それを「そうだね」に換えてみたら、すぐ途切れていた会話が徐々に長くなりました。
きっと仕事で大変なんだな。そう思いやれるようになると、夫も私に優しくなったのです。「行ってきます」と伝えたときの返事が、「はいはい」から「行ってらっしゃい」に。母のことも、「ちゃんと見てあげないとね」と気遣ってくれるように。私も、「夫だって実家が心配だろう」という気持ちになり、「今度はそっちにも一緒に行こうよ」と話したら、思いの外、喜んでくれました。
温かい空気が流れる家庭に
現在、母の肺の水は悪化することなく、むしろ呼吸も楽にできています。父が母に掛ける言葉は、柔らかくなりました。車で出掛けるとき、母が乗るのを待ってから、ドアを閉める父。優しくいたわっている姿は、ほほ笑ましい限り。私も、父を見習い、目指すのは、ほほ笑ましく映る夫婦です。責める心こそが不和の元…。責める心をどこまでもそぎ落として、あったか~い空気が流れる家庭を、二人でつくっていきます。
心(運命実体)で生きる人間は
「教え」を学び
「実体」を高めることで
「運命」が導く「人生」を
歩んでゆける
「教え」で
家族それぞれが触れ合うほどに
自然と家族の会話は
重なり 増えて
「真実の愛」が家族の心に芽吹く
「教え」が
家族の心を一つに重ね
支え 補い合って「生きる」
心(愛情)を強くする
『真実の光・神示 令和2年版』15ページ(中略あり)