No. 1410

生い立ちがどうであれ
全ての出会いに感謝できる
(群馬県TO/70代女性/主婦)

母とは血のつながりがない。その事実を知ったのは、物心がついてからでした。育ての母に甘えられない寂しさがある上、両親のけんかが絶えない家から早く出たい。楽しいとか、仕合せとか、そんな生活からは程遠く、10代で親元を離れたのでした。 

広く大きな心になれたら

月日は流れ、90歳を超えた母が入院。以来、夫と車で往復4時間かけて通いました。記憶が衰える中でも、必ず私の名前を呼ぶ母。最初は“長女だから”という義務感だった私も、母をいとおしく感じるようになりました。 

すると、次から次へと思いが巡るのです。実の子ではない私を、どんな気持ちで育てたのだろう。苦労ばかりだったのでは…。申し訳なさと感謝が胸いっぱいに膨らんで、母を抱き締めながら“ありがとう”。涙ぐむ私の手を取ってうなずく母の目にも、涙がにじんでいました。こんな感覚になれたのは、神の教えを学んで、ただ素直に受け入れられる、広く大きな心になれたからに他なりません。 

母の残りの人生、娘として親孝行と恩返しをしたい。そうした思いで過ごした一年後、母は100歳まで生きて、安らかに旅立ちました。 

心が救われる儀式の素晴らしさ

その後、父と母、妹の明魂祭(後日の葬儀)を受けました。母の信子(しんし;心の世界の名前)には「宝」の文字が。人のために生きた母の良い因は、我が家の心の道に残り、家族の宝となるとのこと。信者だった母は、多くの人を仕合せへ導いてきたのです。その生き方が、我が家の宝としてつながっている…。感謝と感動が込み上げました。 

ただ一つの心残りは、父のことです。糖尿病で足を切断した直後に亡くなったため、私が手術を決断しなければ…という後悔が、ずっとありました。それが、儀式を受け、すーっと流れたのです。さらに、私の育ての母と出会ってくれたことにも、心から「ありがとう」と伝えられました。 

神が下さった素晴らしい奇跡

今は、安寿居に飾っている両親の笑顔の写真に向かって、「家族と仲良く過ごしているから安心してね」と語り掛ける毎日。なので、いつも一緒にいる感覚です。生まれ変わっても、また私の父、母だったらうれしいな。こんなふうに思える自分が不思議でなりません。神と出会い、教えを知り得たからこその奇跡です。 

さらに、神は素晴らしい奇跡を下さいました。亡き父、育ての母と生みの母に感謝を伝えた、神総本部参拝の一週間後。何と、30年ぶりに生みの母から連絡が来たのです。「一日たりとも忘れたことはないよ」。かつて母の日に贈ったかばんを、「いつも目に付く所に置いて、あなたを思ってる」。3歳で別れて約70年。91歳になってもなお、私を愛し続けてくれていた母。「生んでくれてありがとう」「仕合せに長生きしてください」と、初めて言えました。 

良い因をつなげるように

自分を愛し 人を愛し 『命』頂く今を大切に」。私の大好きな神示の一節です。父と二人の母がいて、夫や子供たちと巡り合えたから、今ある私の人生。切っても切れない縁である親への思い。それが“感謝”へと180度変わったことで、次々に親子の愛が通い合ったのです。

ただ、亡き両親とはもう会えない今、人生は有限という言葉の重みを感じます。だから、家族や縁ある人との出会いを大切に生きたい…そんな思いが湧き上がります。全ての出会いに感謝して、明るく和のある家庭を築く。そして、掛け替えのない我が家の心の道に良い因をつなぐ。この目標に向かって頑張ります。

「教え」が家族の心(運命)を重ね
  互いに声掛け 支え合う
    環境(家庭環境)を育んでゆく
 親と子は
  共に「心の道」を歩み
   共に別れを迎え
     縁を深めてゆくもの(存在)
出会いを思い
  互いの心に残るもの(力)が
            「真実の愛」
「教え」のある家庭に
    人は真実の愛を知り
  我が「心の道」に良き因を残す
              人が育つ

『真実の光・神示 平成30年版』100ページ(中略あり)