「膵臓(すいぞう)がんのステージⅣ、余命半年」と宣告された昨年の夏。私は、3度目の町議会選挙に立候補しようとしていました。
「いつ倒れてもおかしくない」と医師に言われ、即入院。妻は言葉を失っていました。ところが私は、不思議なことに全く不安がないのです。「選挙は断念する。ここで死ねない」。診察室に映し出されたモニターに顔を近づけて、画面をしっかり見ながら、医師に質問していたほどでした。
これまでの人生を振り返ると…
ベッドに着いた途端、私は、これまでの人生を振り返っていました。38年間、メーカーで働いた後、教育委員会に入り、委員長の任も。その後はお声を掛けていただき、町議会議員に。どの時代も人が喜んでくれればと、公私ともに何でもやってきました。しかし、それは「過分欲だったかも」と気付いたのです。これこそが、人生を大きく変えたきっかけでした。
その欲とは、人に求め過ぎる節があること。「自分がこれほど一生懸命やっているのだから…」と、周りに対しても求め、「こんなことくらい分かるでしょう」と、上から目線もありました。「もっと相手の話を聞いてあげればよかった」そうした気付きも生まれてきました。
「あれ?」と気付くところから
自分の生き方に、「あれ?」と気付けるこの感覚。神の教えは、本当に素晴らしいです。そこから変わったのは、「人と接するときの自分の心」でした。
妻や子供たち家族、身内との気持ちの交流をより大切にしたり、医師や看護師、薬剤師の方々を信頼して、治療に臨んだり。そうすると、関わる人、関わる人が、みんな優しくて、丁寧で、思いが通い合っている手応えを感じます。「自分の周りには悪い人がいない」という、感謝と感動が込み上げてきました。
医療の世界に貢献できる喜びが
温かくなった心と連動するかのように、体は快調で、入院中の身にもかかわらず、「通常食にしてください」とお願いしたほど、食欲は増す一方。体の痛みが全くないことも、本当に不思議でした。
最初は抗がん剤治療を進めていましたが、ある時、医師に遺伝子関連の治療を相談。この心の動きも、神のご守護でした。その効果がてきめんで、何と、がんがなくなる方向に向かっています。「これほど治療効果があるのは、あなたが初めて」と驚く医師。「医療の世界に貢献できる」。その喜びを味わわせてもらっています。
退院して数カ月たち、現在は通院治療中ですが、さらに体調が良くなっていることを実感。ありがたいことに、持病の薬の量まで減りました。副作用の苦しみがあった中でも、絶対に心が倒れない不思議。縁ある方々にも笑顔になってほしいと、生きる意欲と希望が枯れない奇跡。「不思議」と「奇跡」の歩みを、仕合せに思っています。
「教え」を人生の支えに生きるほど 人間は 心安定し 奉仕に「生きる」思いが深まる
精神世界の真実に気付き 「生きる」意味が見えてくる
人 物に心で触れ 感動し 「真実の愛」に生きられる
この時 人間は 心と体が調和して 「生きる」自信が持てている
この人間の心(姿)を 真の健康という
「教え」を人生の支えに生きるほど
人間は 心安定し
奉仕に「生きる」思いが深まる
精神世界の真実に気付き
「生きる」意味が見えてくる
人 物に心で触れ 感動し
「真実の愛」に生きられる
この時 人間は 心と体が調和して
「生きる」自信が持てている
この人間の心(姿)を真の健康という
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』14ページ