シングルマザーの長女が、43歳の若さで他界。大学生と高校生、3人の孫を引き取りました。ところが、その年に夫が死去。その上、日を追うごとに、私を見下げた態度を取る孫たち。「おかずこんだけ?」「お母さんはハンバーグやシューマイを作ってくれた。ばあちゃんは作れんね」。
腹を立てつつも、亡き娘から預かった子と思い、必死に面倒を見てきました。それでも、孫たちの態度は相変わらず。「こんなに尽くしているのに、何で文句ばかり言うの?」と悲しくなる一方だったのです。
ある時、信者仲間のいとこたちから、神の教えで心が穏やかになった…と聞きました。そんな話を聞いている私までワクワク。「私も仕合せになりたい。なれるかな?」と心が動いたのが、不思議の始まりでした。
変わらなかった心が変わる奇跡
それまで教えを学んでも、「いい話」でおしまいだった私です。とりあえず『生命の歩み』を読み始めましたが、「難しくて分かりません」。正直に祈願しました。ただ、分からないながらも読み続けていくと、気になるフレーズが出てきました。例えば、過分欲。「私は随分、欲が深いなあ。今ある中で生活すればいいのに」などと、発見があったのです。
読み始めて10日ほどたったある日。洗濯物を干し終わったタイミングで、孫が服を持ってきました。いつもは「いっぺんに出して!」と文句タラタラ、心はイライラ。孫もムスッとします。でも、この日は、「もう一回洗えばいいわ」と心が穏やかだったのです。この話をいとこにすると、「それが大奇跡」と。え、これが? 神様の手助けを得て心が変わっていることに気付き、うれしくてたまりませんでした。
不思議な感覚は、まだ続きました。孫を車でバス停まで送る時のこと。当の本人は支度が遅く、「もう時間だよ!」とせかすのが日常。それは、孫のため…ではなく、私自身が安心するためだったと気付いたのです。すると、「きっと準備しているのだろう」とゆとりが戻ってきました。少し遅れてきた孫は、「お願いします」と言って車に乗り込み、着いたら「ありがとう。行ってきます!」と元気いっぱいの声。うれしくて、家に帰るなり、娘の遺影に「元気に出掛けていったよ」と手を合わせました。
孫たちにも大きな変化が
私が作るのは、肉炒めに豆腐料理。おしゃれでもなく、いつも同じ味付けですが、最近、孫たちが「ご飯、おいしかった。ありがとう」と言ってくれるようになったのです! 料理が楽しい。その心が伝わるのか、孫がおいしいと感じてくれる。「こんなことしかできないけれど、喜んでさせてもらうわね」。今はそんな気持ちです。
孫が変わってほしいとばかり思っていましたが、自分の心が変わることで、これほど感謝や感動を味わえるとは思いませんでした。自分でもすごい変化です。「私も仕合せになれるかな?」と思った、あの時の心の動きも、きっと神様の大きなお守りだったのでしょう。毎日毎日、穏やかでいられるように…。ここから出発です!
「教え」を読み込むほどに 心の揺らぎは収まり 愛心が引き出されてゆく
家族・縁者 友人・知人へ向ける思いが 愛となる
皆の心は 神の手の中包まれて 安心 安泰
「教え」を読み込むほどに
心の揺らぎは収まり
愛心が引き出されてゆく
家族・縁者
友人・知人へ向ける思いが
愛となる
皆の心は 神の手の中包まれて
安心 安泰
『真実の光・神示 令和4年版』121ページ(中略あり)