夫と長男は気が合わないのか、昔から会話しようとしません。ですから、私が間に入って仲を取り持つ。それを数十年やってきました。
でも、本当は、二人ともお人よし。野菜が手に入ると、近所の人はもちろん、宅配の人たちにまで「大変な思いをして配達してくれているから」と渡します。お互い優しいのに、どうしてもうまくいきませんでした。
自分の関わり方を振り返る
息子が就職、結婚…と巣立ち、夫が定年になる頃のこと。友人に誘われて、神の館を訪れました。そこで目にした信者の方々の明るい笑顔といったら…。あんなふうになりたいと思い、信者籍を置きました。
「家族と話し合うこと」「時期を待つこと」。そして、「夫婦が一番大切」。神の教えの中で、特に心に残りました。というのも、夫婦関係がギクシャクしていたのです。
事の始まりは、長男が生まれた時。私は、夫の反対を押し切り、息子を実家に預け、若くして建てた家の資金繰りのために働き始めました。息子が小学生になると、実家に預けるのはやめましたが、夫は、自分の両親や兄弟の所に行き、休日は趣味のゴルフ。家を空けることが多くなりました。私が対人関係の悩みを相談しても、「おまえが悪いからだ」のひと言で終わらせるようになっていたのです。
心の奥にあった思いとは?
そんな夫だから、私は何でも自分で対応。夫には「頼んでくれればやるのに」とも言われましたが、「察してよ」「気付いたのならやってよ」。そう責めながら、結局私がやっていたのです。
そこに出ていた私自身の我の強さ。「言ってくれれば」と話す夫の心の奥にあった思い。「もっと自分に頼ってほしい」という“寂しさ”があったのでは…と、初めて気付いたのです。
「もっと頼ろう」という思いで関わっていく中、自然と増えた夫婦の会話。しかも、「神様の所に行き始めたら、優しくなった」と言ってくれました。でも、夫も変わったのです。私としては普通にしているだけですが、「そこが母ちゃんのかわいいところなんだよなあ」と褒めてくれ、自分の友人には、「うちの母ちゃんはさあ」と、うれしそうに話しているそうです。
家族の心がつながっていく喜び
「言ってくれれば」。息子もよく言う言葉だな…と気付きました。そこで、家の水道の調子が悪くなった時、夫に相談して息子を頼ってみました。すると、すぐに来て、故障前よりも良い状態に。それからです。息子が、自分から夫に電話をかけ、二人で和やかに会話するようになったのです。
夫は、「いつも息子が電話をくれるんだ」と、これまた自慢げに友人に話しているそうです。最近では、息子のお嫁さんの実家とも、家族ぐるみでお付き合いをするまでに。夫婦の心、親子の心がつながっていく…、そんな喜びを味わっています。
家庭は 家族の心が重なり合って生きている
夫婦の会話 心冷静に 互いに敬い合って あるべき姿(任)を語り合うこと
夫婦の心が共鳴するほど 我が子の心に 親を慕う愛(尊敬愛)が育ってゆく
人生の時折に舞い込む 不安に迷う心も 会話のある家庭には悩みとならない
家庭は
家族の心が重なり合って生きている
夫婦の会話
心冷静に 互いに敬い合って
あるべき姿(任)を語り合うこと
夫婦の心が共鳴するほど
我が子の心に
親を慕う愛(尊敬愛)が
育ってゆく
人生の時折に舞い込む 不安に迷う心も
会話のある家庭には悩みとならない
『真実の光・神示 平成28年版』32ページ(中略あり)