今から5年前…。仕事帰りの運転中、反対車線から車が入り込んできて、正面衝突の大事故に。下り坂を走っていたにもかかわらず、私の車は1メートル押し戻され、相手の車もひっくり返りました。
視界が徐々に真っ暗になり、細くなっていく呼吸。「自分はもう終わりだ」と思いました。「車が燃えるぞ!」「中の人を早く出せ!」。かすかに聞こえる誰かの叫び声を聞きながら…。
そこから先の記憶はありません。周りの人たちが私を車から近くの草むらに移し、もう一台のひっくり返った車も起こしてくれたそうです。目が覚めたのは病院のベッドの上。体は全く動かなくなっていました。頸椎(けいつい)損傷で、半身不随。相手の方は、軽傷で済んだと聞きました。私は回復の見込みがなく、妻は医師に「一生涯、体は動かせない」と言われたそうです。
神に心をお守りいただいて
天井ばかり見詰める毎日。それなのに、なぜか気持ちが落ち込まないのです。事故を起こした方に、「ぶつけた野郎」などという感情が湧かないのも不思議でした。「何とか頑張って生きてみるか」。神様が心を引っ張ってくださっていると実感したのです。
程なくして、看護師さんから「手を動かせますか?」と聞かれ、意識を向けると、何と手がかすかに動いたのです。医師も驚き、そこからリハビリへ。そして、妻からのひと言。「お父さん、自分で動けなかったら、家には帰れんよ!」。叱咤(しった)激励と感じ、ますますリハビリに力が入りました。
広島に住む娘は、毎月帰ってきては支えてくれ、福岡に住む息子も「なかなか帰れんでごめんな」と言いながら、どれほど励ましてくれたか…。おかげで、「絶対治す」という意志を貫けたのです。
ここまで来られたことに感謝
そして今は、妻と散歩ができるまでに。まだしびれはあり、自分では水中を歩いている感覚ですが、周りからは、普通に歩けていると言われます。
医師からは、頸椎の手術を勧められていましたが、失敗したら即死というハイリスクなもの。なので、手術はしなかったのに、首が普通に動かせる現状に医師は驚き、「あなたたち家族からは、医学以外の力で治せるものがあることを教わった」とお礼を言われました。でも、本当は私こそ、神に、家族に、医師に、周りの人に…感謝しかありません。
第二の人生の「今」が仕合せ
大変だったこの5年。しかし、加害者の方も苦しかったのでは…と、年々その思いが強くなり、妻と話し合って、先日、はがきを出しました。「ここまで元気になりました。ご安心いただきたくて…」そんな思いを書くと、すぐに返信が。感謝とおわびの気持ちがしたためられていました。まさか返事を頂けるとは思わず…、ここにも神のご守護を感じ、目がうるうるしました。
小回りが利かない手になりましたが、「手伝って」と頼まれれば、できる範囲で喜んで。毎日トレーニングも頑張っています。そんな気持ちで過ごす日々は、事故の前より充実しています。「第二の人生の方が素晴らしい」。何と仕合せなことでしょう。
※この方の奥様からの「喜びの声」も、併せてご覧ください。
真の健康手にする極意は一つ ――「運命」に重なる生き方をする――
和心育つ家庭を求めて 「真理」に生きてごらん
自然と 家族の心は 寄り添い 重なり合って 支えて「生きる」心が育ってゆく
「運命」が導く心の動きは 安定している
ゆえに 迷いを生まない
神に思いを預け 日々「真理」に生きる心が強くなるほど
心の動きは安定し 「生きる」希望が持てる
真の健康手にする極意は一つ
――「運命」に重なる
生き方をする――
和心育つ家庭を求めて
「真理」に生きてごらん
自然と 家族の心は
寄り添い 重なり合って
支えて「生きる」心が育ってゆく
「運命」が導く心の動きは
安定している
ゆえに 迷いを生まない
神に思いを預け
日々「真理」に生きる心が
強くなるほど
心の動きは安定し
「生きる」希望が持てる
『真実の光・神示 平成25年版』89ページ(中略あり)