1年前のことです。いつも一緒に偉光会館で学んでいた一人娘が、「もうきれい事はいい。信者辞める」と言い始めました。「一体何があったの?」。動揺が隠せませんでした。
もともと仲良しの我が家ですが、何よりも愛している娘のこととなると、私はつい感情が高ぶってしまいます。今回のことも、夫に相談するうちに、けんかに発展。「教会で学べば変わる」と言う私に、夫は「押し付けるな」。しかし、このけんかが、我が家の前進のきっかけになったのです。
受け入れられない苦しさが…
私が神の教えを真剣に学ぶようになったのは、10年ほど前。娘が中学生の頃です。授業を受けずにふらっといなくなるなど、学校になじめず、親の私が何度も呼び出されるようになりました。
神の教えで「娘を受け入れる」と学びましたが、その感覚が分かりません。私自身は学生時代、人間関係で悩んだことがなく、娘の気持ちが理解できないのです。「こうすればいいのに何でできないの?」「私に似ていない」。娘の話を聞きながら、思わずため息が出たこともありました。
そんな時、夫が言ったのです。「僕は、娘のことを手が掛かるって思ったことはないなあ」と。夫は娘に寄り添っている…。そして気付きました。娘の気持ちを分かりたくて言ったとはいえ、「どうして?」「何で?」の言葉は、本人にとっては、きっと高圧的で、傷つく言葉だったのだろう…と。
「冷たさ」に気付けたのが転機
心の冷たい私でした。なぜなら、本音の本音は、娘と話すのが怖かったから。本当は我が子がいじめられた話なんて聞きたくない。娘を思って苦しみたくない。我が身ばかりをかばう、弱い心の私でした。
我が子を苦しめてしまった…。ただただ申し訳なさが込み上げました。「ごめんね。ママ、感情的だったよね。こう思っていたんだ」と言うと、「初めて分かったよ」と返ってきました。娘を受け入れられて、娘も私を受け入れてくれた実感。少しずつ、でも確実に娘は明るくなっていきました。
胸を張って「今が仕合せ」と
そんな中での、「信者辞める」発言。でも、もう「自分が傷つきたくない」とかばう私ではありません。夫と2人で教えを学び、娘のことを話し合いました。夫婦の心が重なるうちに、子供の気持ちも落ち着いていく不思議…。すさんだ社会の中で、心を痛めていたことを打ち明けてくれました。
「夫婦が向き合えば、子供のことは付いてくる」と思えます。最近は、以前のように、家族で神の館に行けるようにもなりました。「前はママが嫌だったけど、今は愛されてるのが分かる」と言ってくれる娘。私も、「パパもママも、あなたのことばっかり考えているよ」と伝えます。娘は、芯が強くて頑張り屋。私にはない良さを持っています。口げんかもちょくちょくするけれど、お互い謝ってすぐ仲直り。「家族っていいな」と思います。今が本当に仕合せです。
夫婦で「教え」を学び 二人(両親)の心が重なり 一つになるほど
我が子の心(魂)は安定し 運命の力が引き出されてゆく
我が子の将来を思い 親として今なすべきことは一つ
自ら「教え」を学び 「真理」に生きる自覚を持つこと
「道の真理」を学び 守らんとする親の姿は 我が子にとって何よりの手本となる
家族の会話 基になるのは それぞれが分 立場を自覚して触れ合うこと
夫婦で「教え」を学び
二人(両親)の心が重なり
一つになるほど
我が子の心(魂)は安定し
運命の力が引き出されてゆく
我が子の将来を思い
親として今なすべきことは一つ
自ら「教え」を学び
「真理」に生きる自覚を持つこと
「道の真理」を
学び 守らんとする親の姿は
我が子にとって何よりの手本となる
家族の会話 基になるのは
それぞれが分 立場を自覚して
触れ合うこと
『真実の光・神示 平成30年版』183ページ(中略あり)