認知症の母との2人の生活に、つらさを感じるようになりました。母は会話らしい会話はできず、大腿(だいたい)骨を骨折してからは、車椅子生活。それでも歩きたいのか、突然立ち上がります。数メートル歩くのがやっとの母から目が離せず、付きっきりで面倒を見ていました。
限界を感じ、デイサービスの回数を増やすなどしましたが、心の疲れは取れません。かといって施設に預けるのは不安。人から親不孝と思われても嫌。いろいろ考えて、頭はぐちゃぐちゃ。そんな折、母が圧迫骨折で入院。2週間後に面会の許可が下りた時には、私のことさえ認識できなくなっていました。やがて退院できましたが、みとりに向かっての自宅介護になったのです。
今、できることをつかんで
あまりにショックで、教務相談に駆け込みました。母が理解できるかどうかにかかわらず、「感謝」や「大好き」の思いを伝えていくこと。離れて暮らす姉に声を掛け、協力し合うこと。今、できることをつかんだ私の心は、前向きになっていました。
そこからぐっと深まった姉妹の交流。結婚して家を出てから、母との時間はあまりなかった姉だからこそ…募っていた思い。それを聞いたり、姉と2人で母のマッサージをしたりする中で、姉妹の絆が強くなっていくのを感じました。
入院中は、何度声を掛けても反応がなかった母です。もう話すことはできないと思っていましたが、何と声が出るようになったのです。姉や姪家族が家に来た時、「良かったね」と話し掛けると、笑顔で「良かったー!」と返ってきたのには驚きました。
母の人生は「仕合せ」だった
母の食事の量が徐々に減っていき、人生が終わりに近づいていることを感じました。でも、それを受け止めて、最期まで安心してもらおう…と、そういう心になっていたのが、神のご守護と思います。しばらくして息を引き取った母の顔は、ほほ笑んでいて、魂が安らかなことを心底感じました。娘の目から見れば苦労した母の人生でしたが、最後は仕合せだったんだ…と、私の心も安心感に包まれたのです。
一人になり、母を思うと涙が出る日もあります。でも、不思議と思い出すのは良いことばかり。昔、たくさん洋服を選んでくれたこと。花や動物にも優しかったこと。リハビリを頑張っていたこと。「すてきな生き方を私の心に残してくれてありがとう」と思うのです。
介護を通して、私の中に「愛ある心で生きたい」という思いが膨らんでいます。そのために、神にもっともっと心を寄せて、ひた向きに心を磨いていきたい。今の私の正直な気持ちです。
人間は 家族との関わりの中で 生涯を歩み 「心の道」をつないでゆく
人間は誰も 老いて 終日を迎えてゆく
その時 家族の縁が 悔いを残さず「生きる」 心の支えと成る
人間は
家族との関わりの中で
生涯を歩み
「心の道」をつないでゆく
人間は誰も 老いて
終日を迎えてゆく
その時 家族の縁が
悔いを残さず「生きる」
心の支えと成る
『真実の光・神示 平成29年版』14ページ(中略あり)