幼い頃、親に甘えた記憶はありません。賭け事好きな父、苦労する母。「こんな家、早く出たい」と思って結婚した夫は、私のわがままを初めて聞いてくれた人でした。
夫の優しさに応えたくて、「良い人間になりたい」と信者になり、神の教えを学んでいきました。我ながら本当に一生懸命、夫に尽くしたと思います。「ここで怒ったら、普通の妻になる」と我慢もしました。娘や周りからも、「完璧なお母さん」「いい奥さん」と言われる私。それが誇りでした。
自分の本心を見詰めてみたら…
ところが、夫から返ってきたのは「裏切り」のような形でした。「こんなに尽くしてきたのに、その結果がこれ?」ショックと怒りと寂しさで心は大嵐。「離婚」の二文字が心をよぎりました。
本当は夫と仲良くしたい…。でも、負けず嫌いの私は、素直にそう言えません。苦しい心で読んだ『生命の歩み』で、ドキッとしました。私が夫に尽くす理由。それは、夫を心から思って…ではなく、「神の教えを学んでいる人は違う、さすが」と、“自分”が認められたい。“自分”を良く見せたい。軸足が“自分”だと気付いたのです。
教えを学ぶうちに心が穏やかに
「尽くした」ではなくて、自分がしたいようにして、夫に「押し付けていた」。例えば、「夫を台所に入れるなんて、女房の恥!」と一人で家事を頑張る。これも軸足は自分の心。夫の心は? 初めて軸足が変わりました。
ある朝、夫がコーヒーを入れてくれました。「今までで一番おいしいコーヒーだわ!」とお礼を言うと、以来、洗い物をしたり、焼きそばを振る舞ってくれたり。私を支えようとしてくれていた、夫の心が見えてきたのです。
夫婦で寄り添えるように
ふと、自分は夫にどう映っているのだろう…と感じ、思い切って「私の欠点を教えて」と聞いてみました。すると、「話を最後まで聞かない。短気で負けず嫌い」。最後に「でも、優しくなった」。そのひと言がうれしかったです。
「負けず嫌いだな」と言われて、「ごめんなさい、気を付ける」と返す私。我慢や無理ではなく、本当にそう思う心の変化。大きく変わってきたと実感しています。
先日、夫が私の大好きなアイスを買ってきてくれたので、喜ぶと、「その顔が見たかったんだよー」と言ってくれました。以前は別行動だった私たちが、今は、車にガソリンを入れに行くときでさえも2人一緒。夫婦で心が寄り添い合えることが、こんなに仕合せだとは…。「夫ともっと仕合せになりたい!」そんな思いが膨らみます。
家庭の価値(真理)をよくよく悟り 「教え」に生きて
家族の関わりを深める努力が必要
「教え」が家族の心を一つに重ね 補い 支え合って「生きる」家庭をつくる
――「真理」で触れ合うほど 人間は 互いの実体を高め合う心(愛心)が芽吹く――
実体は修正され 運命の力は磨かれ 心(魂)休まる家(家庭)となってゆく
家庭の価値(真理)をよくよく悟り
「教え」に生きて
家族の関わりを深める努力が必要
「教え」が家族の心を一つに重ね
補い 支え合って「生きる」
家庭をつくる
――「真理」で触れ合うほど
人間は 互いの実体を高め合う
心(愛心)が芽吹く――
実体は修正され 運命の力は磨かれ
心(魂)休まる家(家庭)と
なってゆく
『真実の光・神示 令和2年版』60ページ(中略あり)