No. 1125

自分の弱さに向き合っても
心が折れない不思議
(石川県JN/50代女性/保育士)

「放課後等デイサービス」で、丸10年、小学生に関わってきた私。責任者としても、若い職員にアドバイスする立場です。その私が、まさか「自分の対応で指摘を受ける」とは思ってもいませんでした。 

励ましていたつもりなのに…

ほんの1カ月ほど前のこと。保護者から電話がかかってきました。苦情…とまではいかないまでも、「うちの子の気持ちを分かってほしい」。そういう思いが伝わってきました。 

その方の娘さんは、自分の思いを話すのがとても苦手です。泣いてばかりだったある日、気持ちを紙に書いてもらおうと思いつきました。さらさらと上手に書いたので、「うまくいった」と手応え十分。「大丈夫だよ、他の子もそんな気持ちになることはあるよ」と励ましたつもりが、その子にしてみれば、「分かってくれなかった」。さらに、「他の子をかばっている」と傷ついたそうなのです。 

保護者の話に、心臓がドキドキ、キューッとしながらも、すぐ心の中で祈願して、おわびしました。他の職員に報告すると、責めるどころか寄り添ってくれて、その姿勢にも教えられた思いでした。 

本来の私は「関心の薄い人間」

一段落したのに、なぜか重苦しい私の心。神の教えで学んでいる「相手を思う心」を実践していたつもりが、なぜ? 初めて、重たい心のふたを開けました。 

本当は知っていた、自分の心の奥の奥にある嫌な部分。見たくなくて、目を背けていました。表面は元気でポジティブな性格。でも、明るく伝える「大丈夫だよ」の裏にあったのは、相手を一心に思う心…以上に、相手を待てず、結論を先急ごうとする、自分中心の物差し。「自分がどう関われば、相手の気持ちがホッとするか」は考えていなかったのです。全ては人への「関心の薄さ」。仕事だけでなく、家庭においても同じだったと、はっきり自覚しました。 

神に応援していただける自分に

気の小ささでは天下一品の私です。ささいなことで食欲が落ちたり、他のことが手につかなくなったりするのに、今回は不思議と落ち込みません。自分の弱い部分を受け止めて、そのまま祈願していけばいいと分かったからです。

女の子には嫌われてしまったかな…と思いましたが、ニコニコ通ってくれています。しかも、「ひまわりの種を植えたい」などと、気持ちを私に話してくれるのです。夫や子供たちとも、これまでになかった優しい言葉のラリー。娘など、家でいつも私のそばにいるようになり、その変化がうれしいです。 

令和5年の折り返し地点、神が、私の生き方の修正ポイントに気付かせてくださいました。「変えよう」とする心を、神が応援してくださっていることを感じます。

「教え」に生きるほど 人との出会いを生かし 大切にする心(愛心)が引き出される
 言葉 態度が 相手の気持ちに重なり始め 互いに信頼を育む心が持てる
悩みを抱えた今こそ 「教え」を学び深め 我が「心の姿」を見詰め直す時と悟るべし
 「教え」が人の心(気持ち)を安定させ 内省する心を引き出してゆく
 悩みを悟りに返す 夢ある人生を歩む人の姿が ここにある

「教え」に生きるほど
  人との出会いを生かし
    大切にする心(愛心)が
            引き出される
 言葉 態度が
   相手の気持ちに重なり始め
     互いに信頼を育む心が持てる
悩みを抱えた今こそ
 「教え」を学び深め
   我が「心の姿」を見詰め直す時と
              悟るべし
 「教え」が
   人の心(気持ち)を安定させ
     内省する心を引き出してゆく
 悩みを悟りに返す
    夢ある人生を歩む人の姿が
             ここにある

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』30ページ(中略あり)