今の私にとっての何よりの喜びは、毎日元気に目を覚まし、神に、家族に「おはようございます」と朝のご挨拶をさせていただけることです。何事にも「よし、やろう!」と気力が湧いてくるのも、うれしくて仕方ありません。
温かい心遣いに喜びが
昨年の6月、脳梗塞で入院しました。体は思うように動かず、言葉もうまく出てきません。「良くなるのだろうか…」「こんな姿を誰にも見られたくない。人に会いたくない」と、落ち込むばかりでした。
そんな私を支えてくれたのは家族でした。
娘は、仕事の合間を縫って、毎日見舞ってくれました。高校生の孫は、電車の本数が少なくて、病室に10分ほどしかいられないのに、学校帰りに回り道して、たびたび顔を見せてくれました。「おばあちゃん、来たよー」と、笑顔で優しい声を掛けてくれ、本当にうれしかったです。
多くの支えを頂いて
気持ちが落ち着いてくると、自分がいかに多くの人に支えられているかが分かりました。丁寧に説明してくれる先生や、いつも声を掛けてくれる看護師さん、病状に合った食事を用意してくれる調理師さん。たくさんの人の支えがありがたく、「元気になろう!」と生きる力が湧いてきたのです。
症状が回復し、リハビリが始まると、近くに住む友人が何度も来てくれました。「どこに行っても、誰かが助けてくれる」「家族をはじめ、みんなに良くしてもらって、私は仕合せ者だ」と気付きました。
感謝が元気を引出し生きる力に
退院した今、体は以前のようには動きませんが、不思議と不満は感じません。それどころか、日常の一つ一つに感謝が込み上げてきます。自分の足でお風呂に入り、自分の手で洗えることすらも、ありがたくて仕方ないのです。元気な時は当たり前だった、家族や人と触れ合える毎日が、当たり前ではなく、「おかげさま」と思えます。
コロナ禍の今、私のように基礎疾患がある場合は、人一倍注意が必要ですが、恐れることも、心が負けることも私にはありません。教えを学ぶたびに、神に、家族に愛されていることに自信が持てて、もっと笑顔で優しく、明るく生きていきたいと思えるからです。心が元気でいられる御礼に、神の館に行ける日を楽しみにしています。