夫が故郷に転勤となり、りんご農家の義父母と同居することに。しかし、一緒に暮らすと、語気が強い二人の方言に萎縮し、怒られているように感じる毎日…。夫は何かと気遣ってくれましたが、慣れない土地での農作業の手伝いなど、初めてのことも多く、ゆとりをなくしてしまいました。
「家庭が仕合せの基本」と意識して
近くにあった神の館が、大きな支えになりました。学んで心に深く残ったのは、「人は一人では生きられない」「家族の関わりがとても大切」という教えでした。
物事を悲観的に受け止める自分にも気付いて、学ぶほどに心が軽くなっていきました。「家庭が仕合せの基本」だから、家族に明るく触れることを目標にしたのです。
義母の笑顔で「家族」と再認識
そんなある日、義母が足の手術で入院。夫婦で見舞うと、とても喜んで迎えてくれました。その笑顔を見た時、「義父母も家族なんだ」とあらためて感じたのです。
思い起こせば、義父母はいつも真面目に頑張っている人でした。「愚痴も、泣き言も言わないけれど、大変なこともあっただろう」と思えてきて、「こんな時こそ教えの実践。何でも話そう」と決意しました。
少しずつ、自分の思いを話せるようになりました。細かいことにこだわっていた心が消えて「まあいいか」「相手に求め過ぎていた」と、大きく受け止められる自分にもなっていったのです。
義父の期待に応えて生きがいを
その後、義母は退院。しかし、最近は二人とも体調を崩しがちで、りんごの作業を頼まれることが多くなりました。
手入れを終えて状況を報告すると、寡黙な義父が「ありがとうな」と、優しく言ってくれます。それを聞くと、「期待に応えられるように、もっと頑張ろう」と、慣れない作業も楽しみになるのです。「頼られている」「役に立てた」と生きがいを感じます。
心に触れる会話ができる家族に
コロナ禍の自粛生活で、義母は、「戦後は、物もなく大変だったんだよ」と、自分の経験を話してくれました。「今は豊かな時代。ちょっと辛抱して、自分ができることをすればいいだけ…。仕合せだよ」その言葉に共感しつつ、「こういう会話ができる家族になれたんだ…」とうれしくなりました。これまできつく聞こえていた方言が、不思議と温かく感じられます。
毎朝、神の教えを学ぶと、心の汚れがサーッと流れて、爽やかな気持ちになります。「さあ、きょうも明るく頑張ろう」と活力が湧いてくるのです。これからも、教えで自分の生き方を見詰め、人生を歩んでいきたいと思います。