私は、介護の仕事をしています。初めのうちは、利用者の方々の気持ちが分からずに、言葉に振り回されていました。自信が持てずに、毎日がつらく、泣きながら仕事に行っていたのです。
素直に思いを語ってみたら…
この状況を乗り越えようと、神の館で教えを学んで、苦しい思いを神に語り、心を立て直すことを繰り返しました。
神の教えに、「15歳から30歳までは、素直に思いを伝えることが大切」とあったので、父や上司に、自分の気持ちを伝えてみることに…。それまでは、「働いている立場でそんなことを言ってはいけない」と思っていたのです。自分の気持ちを聞いてもらうだけで、心が楽になりました。
協調とは自ら関わっていく心
その頃、教会の青年向け課外教室に参加しました。参加の留意点に、「同部屋の人と声を掛け合って行動すること」とあり、私はそれを心掛けました。ところが、周りはマイペースで、「お互いを磨き合う場なのにどうして?」と思っていました。
気が付くと、私は一人で行動していました。その時、ふと学生の頃にも同じような経験をしたことを思い出したのです。
「協調性」とは、どんな相手にも自分から関わろうとすること。私には、この心が欠けていたのだと気付きました。
欠けている心を補って働くと…
以来、職場でも積極的に自分から関わる努力をしています。
利用者さんには、「気持ちを分かってあげたい」「もし自分の身内だったら…」と、精いっぱい関わっています。そんな気持ちで触れていくと、たくさん話し掛けてもらえるようになり、「お役に立てている」と感じる場面がどんどん増えていきました。
自分にも相手にも輝く力がある
神の教えで「一人一人に異なる良さがある」と学んでからは、スタッフの方々にも「この人の輝く力は何だろう」という気持ちで接するようにしました。すると、手芸が得意な人は利用者の方と何かを作ったり、音楽が得意な人は一緒に歌を歌ったりと、それぞれが持ち味を生かしている姿に気付いたのです。私も、自分の立場を踏まえ、分からないことは素直に聞いて頑張ろうと思えました。
役立つ喜びが自信に
神の教えに生きると、心が安定し、楽しい毎日を過ごせます。「自分の良さが生かされている」という自信が持てて、以前のつらかった経験も無駄じゃなかったと思えます。
生きる指針があって、本当に感謝です。これからも神の教えを生かしていきます。