84歳になる母が脳梗塞を乗り越え、無事に退院しました。生きていてくれるだけで感謝の毎日です。
介護の疲れに心がギクシャク
しかし、几帳面で心配性の母は、看護師の動きと同じレベルを家族に求めて、夜中は2時間おきに起こされることに。精いっぱい応えてはいても、夫婦で寝不足になり、体調を崩す始末です。初めての「介護」は私たちにとって、甘くありませんでした。
生活リズムのつくり方が分からない中、テレビでは毎日、新型コロナウイルスの話題ばかり。母は次第に家族のせき一つにも過敏に反応し、「絶対、私にうつさないでね」と厳しい表情で言い放つなど、家の中はギクシャクしていきました。
我が家に足りないものは
このままではいけないと、教会図書『心の正道16』に飛び付きました。心を流せるように神に語り、読み進めていくと、我が家に足りないのは「心が重なる会話」と気付いたのです。
家族で教えに生きるほど、「言葉、態度が、相手の気持ちに重なり始め、互いに信頼を育む心が持てる」。この神示を夫婦で学び、お互いに責任感から、どこか義務的な介護になっていたと確認し合えました。
能動的な動きでリズムが持てて
不安を抱える母の「心」を思いやりながら、「お母さん、大丈夫ですか?」「お手洗いは…」と、積極的に声を掛けるようにしました。すると、母の表情が次第に穏やかに変わり、「申し訳ないね…。ありがとう」などと、優しい言葉がたくさん返ってくるようになったのです。
夫婦の会話も意識しました。そのうちに私が疲労気味のときは、妻が目いっぱい母に触れ、妻が疲れているときは私が…と、良いリズムが自然と持てるようになりました。「心」の在り方次第で、居心地の良さが家中に広がることを実感したのです。
互いを生かし合って
先日、スマホを家のテレビにつなぎ、家族そろって「光栄祭」の動画を視聴しました。そこには、うれしそうに、輝く表情でノートを取る母の姿がありました。
一年の折り返しの時期を迎え、さらに家族で学んで、互いを生かし合っていけるように、教えの実践に努めていきます。
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