三姉妹の末っ子だった私は、2人の姉を反面教師にして、学生時代は言われなくても勉強しました。親に「3番目は心配ないね」と言われ、輪をかけて増していく「負けたくない」という心。いつしか、周りと張り合うこと、それを「美徳」と感じるようになっていきました。
高校を卒業して、市役所に就職した後は、同期が競争相手です。大卒の人も大勢いる中で、「人一倍頑張らなきゃ」。そうして上司に評価され、出世していく私を、夫が喜んでくれました。今度は、「夫の期待に応えたい」という思いが膨らみました。
人と競い続けた日々
教会図書で「調和」と学んだ時、「え?」と思いました。私の中での「調和」は、お花が花壇にきれいに並んで咲くイメージ。でも、神が言われる「調和」は、さまざまな花が色とりどりに咲く花園のイメージ…。私にはよく理解できず、頭の片隅に置いていました。
その後、勉強会に出席した時、「いろいろな人を受け入れていくのが『調和』」と聞き、ふに落ちました。特に「同年代の女性には負けたくない」とギラギラしている私は、「調和」とは程遠いと気付いたのです。
努力、努力で、40代で管理職に就いたものの、部下一人一人を受け入れていく努力はしていませんでした。では、これからどうしたらいいんだろう…。かつて勉強会で聞いた、「できる人より、“できた人”に」という内容を思い出しました。仕事ができるだけでなく、人柄のできた人になる。今の私に絶対必要な努力だと思いました。
“できた人”を目指して変わった心
人の意見を聞いて、「そうだよね…」に続く「でも」の言葉。言った後で心に残るモヤモヤ。「でも」は、相手を受け入れていないな、調和していないな…と気付いた時、自然と「でも」が消えました。人のちょっとした良いところを見つけて、「すごいよね」と口に出すうちに、もっと相手の良さが見えるようになりました。
その先には、人と張り合っていた頃には感じられなかった、「心が軽い」感覚があったのです。周りの活躍を見ると、自分のことのようにうれしくて、もっと応援したくなる…、そんな心まで芽生えています。
寂しさも乗り越えられて
実は昨年、夫を病で亡くしました。その寂しさも、周りの人に声を掛けてもらう中で、少しずつ和らいできました。何よりうれしかったのは、「あなたがいると職場が明るくなる」と言ってもらえたことです。
この年になっても、仕事ができること。それも楽しく働けるなんて、ありがたいことと思います。必死で張り合っていた時代の、何とも言えない心苦しさから抜け出して、ウキウキ気分で生きる毎日です。
神が与えし「運命」 その力の尊さ 気付けし者は
出会いを生かし 奉仕心に生きられる
縁を生かすは「運命」――
一人一人の力(運命)を重ね合わせて生きるところに
自然と調和し 良縁となる
「まこと(真実)の愛」に生きる我を目指せよ
目指すほどに 我が心豊かに広がり 多くの出会いが 「生きる」支えと返るのである
神が与えし「運命」
その力の尊さ 気付けし者は
出会いを生かし
奉仕心に生きられる
縁を生かすは「運命」――
一人一人の力(運命)を
重ね合わせて生きるところに
自然と調和し 良縁となる
「まこと(真実)の愛」に生きる
我を目指せよ
目指すほどに 我が心豊かに広がり
多くの出会いが
「生きる」支えと返るのである
『真実の光・神示 平成20年版』56ページ(中略あり)