緊急事態宣言で、都内で働く娘は自宅待機に。大学卒業後に就いた仕事を退職したばかりで、次の目標に向けて、派遣の仕事やアルバイトに精を出していた時でした。
娘は「今、休みたくないのに!」ととても焦っていて、心がパンパンなのが電話越しに伝わってきました。「あなただけじゃないのよ。今は、みんなじっとしている時なの」と言っても不安な様子。「何かあったの?」と聞いても、話してくれません。電話やメールだけでは、様子が十分に分からず、私も心がのまれそうでした。
夫婦の会話で生まれたゆとり
しかし、「この子をしっかり支えたい」と神に願い、夫と語り合ううちに、不思議なほど心が落ち着いてきたのです。「子供の頃から、目標を見つけて突き進む子だったよね」「半面、弱さは見せない、意地っ張りなところもあるかな」と思い出されました。「自分からは、言えないことがあるのかもしれない…」そう感じました。
娘がなぜ焦っているのか理解できず、ただ「分からせよう」としていた私でしたが、「娘の気持ちをよく聞いてあげたい」という思いが込み上げてきました。「我慢しないでどんなことでも話すんだよ。家族なんだから…」と伝えると、娘も素直に心の内を話してくれたのです。
学費や留学で、親に負担を掛けた思いがあり、その上仕事も辞めて後ろめたさがあったこと。親に迷惑を掛けたくなくて、自分で何とかしようと頑張っていたこと。次の目標に向かう気持ちは、しっかり持てていること…。娘は、心が楽になったようで、いつもの明るい声が戻ってきました。
「分からせよう」ではなく…
「分からせよう」とするよりも、「分かってあげる」ことが大切でした。神の教えを家族で学んでいればこそ、どんな出来事も糧に返せると実感しました。
一年の折り返しを迎えましたが、神が1月にお教えくださった、「教えのある家庭を、家族でつくる努力を重ねる」この目標に、少しでも「近づきました!」と言えるように、頑張っていきたいと思います。