No. 222

年に数回の参拝だった私が
学びに目覚めたきっかけ
(愛知県KI/50代男性)

親の勧めで信者籍を置き、30年以上過ぎました。当初は神の館に参拝し、教えも学んでいましたが、近頃は、仕事の忙しさを理由に足が遠のき、お正月に参拝する程度でした。深い悩みもなく、学ぶ必要性を感じていなかったのです。

そんな時、たまたま出席した勉強会で、「教会図書は、信者籍のない方々にも、広く読んでほしいもの。世の中では得られない真理」と聞き、最新の書籍を読んでみました。しかし、自分には難しく、すぐにやめてしまいました。

疑問に感じていた答えがここに

ことしのお正月、いつものように神の館で御神体をお預かりし、勉強会に出席した後のことです。不思議と、「もう一度、あの書籍を読んでみよう」と心が動きました。

自宅で早速読み返すと、最初に読んだ時にはさっぱり理解できなかった内容が、どんどん心に入ってきました。「そうか! そう考えればいいんだ!」普段の生活で、疑問に感じていた答えが、全てそこにあったのです。感動でした。

人生を左右する心の大切さ

興奮して別の書籍も読んでみたら、同じ感触で、面白いほど心に入ってきました。一度では分からなかった内容も、二度、三度と重ねて読むと、決して難しく感じず、よく理解できたのです。

日々の小さな心の動きが、どんなに人生を左右するのか…。心遣いの大切さに目が覚める思いでした。そして、自分でも自由にならない心を変える祈願についても、書籍からつかむことができました。

がらっと変わった心遣い!

私はこれまで、父とあまり仲が良くなく、関わりを避けてきました。しかし、神の教えから、親に向ける心がいかに間違っていたかに気付いたのです。

自分から父に関わり、何げない言葉を自然に掛けられるように、心を使っています。まだ数カ月しかたっていないのに、今、家の雰囲気がすっかり変わりました。

父は、私が母と出掛けるときに、「帰りにうまい物でも食べてこい」と気遣ってくれます。母も、随分明るくなりました。

ようやく、神の教えに心で出会えた気持ちです。学ぶことが楽しくて仕方なく、自分でも驚くほど。家族はもちろん、職場の仲間や友人にも、思いやりのある心をかけていこうと誓っています。