夫はとてもいい人なのですが、短気なところが玉にきず。とはいっても、ちょっとカッとなるくらいなので、その都度我慢して場を収めてきました。しかし、四十数年の不満の積み重ねは恐ろしいものです。昨年のある日、いつものごとく夫の短気が出た時、「また!」「今回ばかりは許せない!」と、かつてないほど心が乱れてしまったのです。
自転車に飛び乗り、偉光会館のご神前に行きました。「夫に尽くしてきたのに、何でこんな思いをしなければいけないんですか」つらつら神に訴えながら、「ん?」と思いました。「してあげてる」「夫のためにこうしてきた」と訴えているこの心って、上から目線?と感じたのです。
夫の言葉に思い上がっていた私
昔、夫に「おまえの言うことはいつも正しい」と言われたことがあります。当時の私は、それをうれしく思いました。でも、夫には夫の「正しい」と思う考えがあっただろうに、それを知ろうともしなかった私。「こうでしょ」「ああでしょ」と押し付けるように話して、カッとさせていた部分も大いにあったと思います。自分が恥ずかしく、情けなくなりました。
思えば、夫は私とけんかしても、数日たてば笑顔を見せてくれます。気が強い私の性分をよく理解して、受け止めてきてくれた…その器の大きさに、初めて感謝が持てたのです。
夫の答えを待つ、じっくり聞く。そういう心が持てるように、祈願し始めました。少しずつ、お互い穏やかに過ごせるようになり始めた時、夫に大腸がんが見つかりました。さらに、肺にも初期のがん。「病気になったらなったで仕方ない」と、淡々と受け止めていた夫です。それが、教務相談を受けたところ、「妻や子供たちを安心させて、悔いのない生き方をしたい」と希望が湧いたようで、表情も明るくなったのです。
神の手の中の出来事と感じて
その頃、偶然空きが出て、1カ月早く大腸の手術ができることに。持病の糖尿病の数値が高く、リスクが心配でしたが、手術直前に安全値まで下がり、先生が「え?」とつぶやかれたと後で聞きました。不思議な流れの中にいる私たちだったのです。
ところが、退院から1週間後、夫は腸閉塞を起こして再入院。背中をさすりながら、今までにない感覚がありました。「四十数年頑張ってきてくれた」「言い合ってきてごめんね」という思いが湧いて、本当の夫婦に近づいた…、そんな感覚を神が教えてくださっていると思ったのです。もうすぐ肺の手術がありますが、お互いに明るく過ごしている今の私たちは、仕合せです。2人で心一つに乗り越えたいと思います。
夫より
妻が尽くしてくれていたのは結婚当初からで、そこに甘えて、ポポポッと短気を出し続けてきたこの歳月。神示教会にも、妻に引っ張られて行くだけの、いいかげんな信者でした。人への関心が薄く、思いやり不足だった私は、神が教えてくださる「人の道」が守れていないと、ようやく気付いたのです。病を機に、妻に初めて心から「ありがとう」と言えました。明るい妻のおかげで、病を忘れるくらい、穏やかに過ごせています。
「教え」を学び 「真理」を「心(人生)」の支えに日々歩むなら
人は皆 心明るく 健康に生きられる
自ら「教え」に気付きを得て 心を正す努力をする
自然と 言葉や態度に 明るく優しい薫りが漂う
その時 「心」は「運命」に重なり 信頼し 支え合う気持ちが 家庭に芽吹く
人間は 「運命」の力で 重なり 補い合う環境に 心明るく 強く「生きる」人と成る
「教え」を学び
「真理」を「心(人生)」の支えに
日々歩むなら
人は皆 心明るく
健康に生きられる
自ら「教え」に気付きを得て
心を正す努力をする
自然と 言葉や態度に
明るく優しい薫りが漂う
その時
「心」は「運命」に重なり
信頼し 支え合う気持ちが
家庭に芽吹く
人間は 「運命」の力で
重なり 補い合う環境に
心明るく 強く「生きる」
人と成る
令和4年11月23日 信者心の基勉強会健康編(中略あり)