(栃木県YF/60代女性/主婦)
体が食べ物を受け付けなくなったのは、昨年の夏のことでした。最初は、「暑さのせいかな…」などと思っていましたが、どれほど時間がたっても、食事は喉を通りません。食欲不振でした。急になぜ? どうして? 疑問が頭の中を駆け巡り、病院で検査を受けたものの、「異常なし」。なぜ分からないのか、どこかに病が隠れているのでは、誤診では…。1週間、2週間と、時間がたつほど不安は募り、夜も眠れなくなってしまいました。
これまでを振り返っていくと
追い詰められた私は、教会図書を開き、わらをもつかむ気持ちで、夫と教務相談を受けました。心身の健康には、“心が安らぐ家庭”が重要なこと。その家庭の根幹は“夫婦”であること。一つ一つ振り返るうちに、私は、自分の「欠け」に気が付きました。夫と意見が異なると、「何でこの道にしたの?」「それよりこの方が」などとすぐに否定。考えも聞かずに、思いを押し付けていたのです。自分を振り返るほど、長年私を補い、支えてきてくれた、夫や子供たちの優しさが見えてきました。家族のために、「生き方を正したい」という決意も湧いたのです。
少しの実践が大きな変化へ
気付きを祈願するうちに、病の原因を追究することに向いていた心が、少しずつ切り替わっていきました。自分でも、驚くような変化も。「否定ばかりしてきてごめんね」「きょうもありがとう」「そういう考えもいいね」。なかなか言えなかった言葉が、あふれるように出てきます。夫の表情も和らいで、自然と会話が増えました。不安にむしばまれていた気持ちが、徐々に安定していったのです。
実はこの間に、経過観察をしていた病の治療も始まりました。迷ったけれど、家族と話し合ううちに、「きっと大丈夫」と思えたのです。その病院の付き添いだけでなく、偉光会館にも一緒に足を運んでくれた夫。「お母さんは、お父さんがいないと駄目だね」。娘にしみじみ言われるほど、その存在は大きかったです。子供たちも折に触れて帰省してくれ、家族の存在がありがたく、心強く、何よりうれしく感じるようになりました。
心を高め合って生きる家族に
そんな私の心に、ふっと浮かんだ「ラーメンが食べたい」という思い。食欲不振に陥って、4カ月ほどたった、ある日のことでした。夫婦で分け合ったラーメンのおいしさは、今も忘れられません。「随分食べられたね」と喜んでくれた夫の顔も。そして、この日を境に、少しずつ私の食欲は増していきました。
それからしばらくたって、食欲不振は完全に回復。夫と長寿の祝い「神魂の儀」を受けることがかないました。夫婦で感謝を伝え合い、家族がいかに掛け替えのない存在か、一層心に染みたひとときでした。一番大切に、一番思いを伝えていかなくてはいけないのが“家族”。あらためて、そう感じたのです。この気持ちを忘れずに、これからも教えで自分を見詰め、生き方を高めていきたいです。
健康とは
病気 けがのない姿を
いうのではない
精神が安定し
体に心が調和した姿をいう
家族で「教え」を学び
「真理」で関わる人々(ひと)は
まず心が安定し 迷いも消える
家族で 「生きる」真実の姿も
共有できる
自然と 家庭は明るくなって
奉仕の心が
家族の心を包み 一つにする
(令和6年8月23日)

