(神奈川県AS/60代女性/介護職)
昨年の5月末、膵臓(すいぞう)がんと診断されました。我が家は家系的にがんになる人が多く、中には、若くして亡くなった人もいます。私も20代の時、がんで9カ月入院。その頃、神と出会い、病を乗り越えたものの、「いずれまた…」という思いは常にありました。それを家族にも話し、「延命治療はしなくていいから」と決めていたほどです。だから、病が分かった時も、「治療は受けるけれど、『治りたい』とまでは思えない」。それが正直な気持ちでした。
“我の強さ”に気付いて
それでも、何かを求めて教会図書を開いたのは、夫のことが気掛かりだったから…かもしれません。無口で、何をするのも遅くて、頼りない夫。これから先、この人は一人で大丈夫だろうか。そうした気持ちは、神示に触れるほど消えていきました。自らの“我の強さ”に気が付いたのです。思えば、夫には何でも事後報告で、会話といえば文句を言うくらい。もし私が、夫の立場だったら…? 「そうだよね。返事をするのだって嫌だよね」。変わりたいという思いが込み上げて、繰り返し祈願しました。
夫婦の絆を深めるために、もっと自分から声を掛けていこう。心のもやが晴れたかのように、気持ちが定まりました。すると、寡黙だった夫にも変化が。入院後、「嫌なことばっかりしてきてごめんね」と謝ると、「いいんだよ。早く病気を治せばいいよ」と言ってくれたのです。思わぬ温かさに、胸がいっぱいになりました。お互いに歩み寄れているという実感は、治療に臨む何よりの支えに。「この家族と生きていきたい」と、心から願えたのです。
心と共に大きく変わった日常
私の気持ちを後押しするように、手術も順調。「悪い箇所を取り除くだけで終わり」と言ってくれた、医師の言葉どおりでした。どんどん心が変わる中で、見えてきたのは夫の良さです。何でも丁寧なのです。退院後、一緒に買い物に行くと、品物を一つ一つきちんとしまっています。私の入院中も、その丁寧さで、黙々と家事をしてくれていました。「いまさらだけど、ありがとう」。素直に言葉にすると、夫も「お前がやると、腰を痛めるだろう」と返してくれます。いつの間にか、家が、心も体も安らげる場所になっていました。ことしの春には、服薬しながらも、仕事に復帰できたのです。
確実に引き上げられた私の人生
実は、一度目にがんを患った時、私は離婚を経験しています。夫婦の縁を深められなかった当時、その人は、かつらになった私と歩くことさえ嫌がりました。退院を待って離婚に…。あれから40年ほどたって、神の教えで、心を見詰め直せた今回。忘れられないやりとりがありました。再びかつらになった私が、「一緒にいて恥ずかしくない?」と夫に尋ねた時のこと。「大丈夫だよ。髪がないのは俺も同じだ」。そのひと言が、どれほどうれしかったか…。過去の傷さえも、優しく包み込んでくれました。神と出会い、私が手にできた「生きている」実感にあふれた毎日。この“奇跡”を、皆さんに語っていきたいです。



「教え」が
家族一人一人の心に気付きを与え
感謝の思いを強くする
家族が互いを気遣い
声掛け合う環境に
豊かな心が育つ
同時に 実体も引き上げられて
運命に守られ 導かれる
家庭と生(な)る
真の健康は
豊かな心 身に付けた時
人間(ひと)誰もが体験する
神の手の中 住み 居る 安心が
心と体を守ると悟るべし


