(福島県HE/60代女性/介護施設職員)
私は思春期を迎える頃から、母を憎むようになりました。もともと争いの絶えない家系で、母と祖父母は折り合いが悪く、両親もけんかばかり。「ごめんね」や「ありがとう」すらない家でした。そんな環境が嫌で、親を責めました。特に、何を言っても否定し、必要以上に干渉する母に対して、私もどんどん反抗的になっていったのです。
根深い思いが流れていって
私が神示教会の信者になったのは30歳の時。神の教えは心に響くことが多く、うれしくなって、家族に学んだ内容を話したのを覚えています。母は、「親の言うことを聞かない娘が、神の話は素直に聞く」と驚き、間もなく信者に。神総本部へも、親子で何度伺ったことか…。当初は、ついきつい言い方をしてぶつかることもあった私たち。しかし、教えを学ぶうち、本来は優しい母のこと、口うるさくなったのは、私を心配していたからに違いない。そうした親心を分かろうともしていなかった…と、気付いたのです。母への根深い思いが少しずつ流れていき、「親に心配を掛けたらいけないな」「随分、悲しい思いをさせてしまった…」と反省。親を責めるより、自分の生き方を改めようという気持ちに変わっていきました。
「仕合せ」を感じ合える親子に
やがて、父も信者となると、両親のけんかもなくなり、家庭の雰囲気が居心地の良いものへと変わっていきました。十数年前に父が他界した時には、「お母さんも年を取ったな」としみじみ思い、あらためて感謝といとおしさが湧き上がったのです。以来、もっと優しい心で触れたい。一緒にいられる時間を大切にしたい…という気持ちを込めて、毎日を過ごすようになりました。私が家族と出掛けるときは、母にも必ず声を掛け、一緒に外出。母はいつも、「声を掛けてくれてありがとう」と喜んでいました。晩年の母は、「仕合せだよ」が口癖。その言葉を聞く私たちも、一緒に過ごす仕合せを感じていました。
母から私、子供へと良いものを
今年3月、母は永眠しました。最期の時、母の額を優しくなでながら、「ありがとう。後は任せてね、大丈夫だから」と伝えると、それは穏やかな顔で旅立ちました。その後、母の部屋を片付けている時、神への思いをつづったメモが見つかりました。「姑(しゅうとめ)になじめず、長年苦しい思いをしたけれど、『育った環境が違うのだから、考え方が違って当然』と気付けました。心が流れ、軽くなり、亡きお姑さんに感謝の報告もできました」。母は、神に、こんなにも心を救っていただいていたのです。
私も、どれほど救われてきたことか…。かつて私は、母のように波瀾(はらん)万丈な人生を送ると思っていました。それが、母との関係が大きく変わり、以前からは考えられないくらい仲の良い親子になれた大奇跡。ありがたいことに子供たちとも仲良しで、身内が集まればトラブルが起こっていた家系からは考えられません。もし、神と出会っていなかったなら、私の人生は、母とも、子供たちとも、疎遠のまま終わっていたはず。そう考えるにつけ、「本当にうちは仕合せ」と身に染みて感じます。
母を見送ってから思い出すのは、母の良いところばかり。優しくて、温かくて、惜しまず人に尽くすから、周りの人たちに頼られていた…。温かな笑顔の遺影を見るたびに、「両親の子で良かった…」と心から思います。親の良さを受け継ぎ、磨き、子供たちに良いものを残したい。そう強く願っています。



人間は
「家庭」で生まれ
家族と関わりを深め
「家庭」で人生を閉じる
「心の道」をつなぎ
家族に「実体(こころ)」残す
人生の真実が ここにある
「教え」を 人生の支えに生きる人間は
家族との関わりを通し
「真実の愛」が芽吹き 育つ
「真理」で関わる家庭で
人間は
開運かなう実体(こころ)が
身に付く
『真実の光・神示 令和6年版』75ページ(中略あり)


