No. 1734

家族すら頼らなかった私が
「和のある家庭」を手に

(山形県MK/50代女性/学童支援員) 

商売を営む家で育った私は、忙しい両親に心配を掛けまいと、弱音を吐かずに育ちました。周りを頼らず、「全て一人で完璧に」が生き方になっていったのです。 

父が他界し、母と兄の3人暮らしになりましたが、会話は少ないまま。相変わらず家族を頼れないため、家事も全部一人でやってきました。そんな私が、神示教会の信者となって、何でも話し、支え合う、「和のある家庭」の姿を知りました。そうなりたい…と憧れながらも、長年の生き方は簡単には変えられません。現実と「理想の家庭」との間には、分厚い壁がありました。 

急の入院が好転の始まり

そんなある日、突然の腹痛に襲われたのです。急性虫垂炎で、即手術に。ICUに入るほどの重症でした。心の準備ができていない私でしたが、ここぞという場面で、医師や看護師、栄養士の方々…と、必ず支えがありました。そうした不思議の連続で、無事に退院できたのです。出会う人をもって守ってくださる、姿形は見えなくても神の実在を目いっぱいに感じた出来事でした。 

家に戻ると、母と兄からの「体が本調子じゃないでしょう?」「家事は自分たちがするから、ゆっくり休んで」という言葉が待っていました。私をいたわってくれる「思い」に触れて、これが家族の温かさ…と、心に染みました。初めて、「ありがとう。お願い」と素直に頼ることができたのです。 

凸凹があるから補い合えばいい

ところが、折に触れてむくむくと顔を出す完璧主義。食器やお風呂の隅に残る汚れ…、母や兄がしてくれることのあらが気になるのです。これではいけない、と祈願する日々。そんな時に出会った神の教えが、「人は、誰もが不完全な存在。だから、相手の欠けを補おうとすることが大切。補い合うから、重なり、調和する」。衝撃が走りました。自分だって完璧ではない。ジグソーパズルのように凹凸があって、家族に補ってもらっている。病み上がりの私を思いやってくれる「心」を感じずに、きれいとか汚いとかの形ばかり見て…。気が付いた自分が動けばいいんだ! それからは、「お母さん、食器お水に漬けとくね」と声を掛けたり、そっと洗っておいたり。すると、「なぜ完璧にできないの?」と責める心がなくなって、穏やかでいられるのです。 

心の中の壁を乗り越えて

今、我が家には、思いを伝え合う会話が増えてきています。兄がどんな思いで掃除をしてくれたかを感じて、「お兄ちゃん、ありがとう」と感謝を伝えられる自分に。兄は、「お、どうも」と恥ずかしそう。そんなやりとりさえ、うれしいのです。母とは、一緒に料理をするようになりました。そこでは、食材選びも、盛り付け一つも、家族のためにと思いを込める、母の姿がありました。二人で並んで作るひとときは、一人では味わえなかった仕合せな時間です。家族で食事をしながら、「そんなこと思っていたの?」と、今まで知らなかった本音も出てくる我が家に変わりました。 

あの突然の入院は、心の中にあった壁を乗り越えるための、神が与えてくださった機会と思えてなりません。亡き父には、「本音を話せる家族になってきて、毎日仲良く過ごしているから安心して」と、仕合せいっぱいの報告を。憧れていた「和のある家庭」。もっともっと、どんな思いも打ち明けられて、支え合える家族を目指します。

「教え」を学び
  「真理」で家族に関わる努力を
          欠いてはいけない
 この努力を重ねるほどに
  「運命」の力が
    家族の心を一つに重ね
           生きがいを生む
万人・万物の運命は
  互いに重なり合って
      社会を調和させる力を生む
 この力を受けて
  ますます 一つ一つの運命が
           生かされて行く

『真実の光・神示 令和6年版』88ページ(中略あり)