No. 1733

きょうだいとの関わりから
見詰め直した心の在り方

(長崎県RS/60代女性/無職) 

母が病に倒れ、突然帰らぬ人となった時、私も、妹も弟も、小学生にもなっていませんでした。そんな私たちを、父と祖母は必死に育ててくれたのです。その後、父は再婚し、やがて50代で他界。同じ年に祖母も息を引き取りました。「本当に誰もいなくなってしまった…」。継母とは心が重ならなかった当時、私は痛切に感じました。 

だからこそ、妹と弟は掛け替えのない存在でした。姪(めい)たちが生まれると、その思いはますます募り、好きな物を買ってあげたり、送迎を手伝ったり。けれど、次第にぶつかることが増えていったのです。そうなるとくすぶり始める、「してあげているのに…」という不満。こんな自分が嫌でたまりませんでした。 

立ち込めた“もや”が消えて

ある時、長崎偉光会館で出席した、改築に向けての勉強会。これが転機となりました。職員の話を聞きながら、私は、本当に“相手を思って”していたか…と考えたのです。きょうだいのことになると、つい「してあげないと」と気負い、「私の話を聞いて」と押し付ける。まるで親のような「上から目線」の言動が、妹や弟の反発を引き出していたのでは…。心のもやが晴れ、サッと視界が開けました。 

もっときょうだいの心を大切に、穏やかに話をしたい。神に本心から願いました。ぶつかったときは、「分からせよう」ではなく、相手の思いを「分かろう」と意識。それだけで随分楽になりました。「これ以上言わないで!」と言われた時も、「苦しいんだろうな」と感じられ、「分かった」と返せたのです。「そうは言っても…」と食い下がった以前と違い、お互いに気持ちを引きずりません。少しずつ、やりとりする言葉も柔らかくなっていきました。 

「いてくれること」に感謝が

その頃、我が家でガス漏れが見つかりました。というのも、たまたま隣家を訪れたガス会社の方が、「偶然風向きが変わって…」と気付いてくださったのです。裏に回ってみるとかなりの臭い。もし放っておいたら…と考えると、ゾッとしました。 

すぐに妹や弟に伝えると、「大事にならなくて良かった」「不思議だね」と、一緒に喜んでくれました。自分の“思い”を素直に語れば、ちゃんと温かい言葉が返ってきます。そして、こうした何げないやりとりに、どれほど支えられていることか…。「いてくれてありがたい」。熱い気持ちで、心が満たされていきました。 

心も“新生”を目指して

思えば、父は短気な人で、その勢いに同僚の方々は口をつぐんだと聞きました。そしてそれは、私も同じ。かつて妹や弟から、「お姉ちゃんに何か言うと、倍は言い返されるから何も言わない」と言われたこともあったのです。そんな私も、神と出会い、“生き方”を改める心地よさを知りました。その中で、継母の晩年を、心を込めて支えることもできました。やっと見えてきた、自分の根っこにある“性格”。それを今こそ修正し、みんなで支え合っていきたい。偉光会館の改築に重ねて、心を新たにしています。

「教え」を学び 「真理」を知って
       「生きる」努力を重ねる
 自然と「実体」は高められ
     心に映る世界が変わって行く
 日々の出会いに感謝し
          感動が増えて行く
 同時に 気持ちは安定し
        焦る思いも消えて行く
 「運命」に守られ
    導かれて「生きる」
       人間の姿が ここにある

『真実の光・神示 令和6年版』157ページ