(青森県YK/70代女性/パート)
20年勤めたスーパーを定年退職し、昨年から総菜店で働いています。接客も作業も好きなのに、いつもつまずくのが人間関係。新たな職場でも、やはり悩みが出ました。
悩みをつくっていたのは…
上司が、私の詰めた弁当を見て「汚いわね」。一生懸命作っているのに、その言い方はないでしょう。パート仲間から、「あの人はそういう人」と聞いて納得したものの、「何で私ばっかり!!」という気持ちが拭えません。掃除をしない人の分が私に回ってくることも多く、「何でこうなの!!」。やったところで、ねぎらわれないし、報われない。「きょうは何を言われるんだろう」と不安が増すばかり。仕事に行くのが苦痛になりました。
つらさのあまり、偉光会館へ。教務相談で分かったのは、周りの人のために心を使うのが“仕事”だということ。私の心に、グサリと響きました。「お金を稼ぎたい」「認めてほしい」気持ちで働いていたから、「何で私ばっかり!!」と不満になる。この心こそが悩みをつくっていたと気付いたのです。しかも、人を責め、上司の注意も素直に聞けなかった私。全然“仕事”ができていませんでした。
感じ方が変わったら…
思えば、この年齢で働けるだけでも感謝なのに…。同じ働くなら、“不満”よりも、“気持ちよく”がいい。少しずつ感じ方が変わるにつれ、「できることには、何でも喜んで関われる自分になりたい」と、気持ちがどんどん前に向いていったのです。
それだけで、掃除するにも、他の人がしない所まできれいに。交代の人が時間どおりに来なくても、忙しそうな様子が分かると、ゆったり待つことも。上司に「ここが汚れているから掃除してくれない?」と頼まれた時は、「はい」と気持ちよく。楽しくやり終えた後、上司から「すごくきれいね。ありがとう」と初めて感謝された時は、ただただうれしかったです。
やりがいと喜びにあふれて
不満がないと、「心を込めてお弁当を作ろう」「お客さまに喜んでほしい」という気持ちが湧いてくるのが不思議でした。床が汚れていても、「何で誰もやらないの」と責める心にならず、「気付いた私がやればいい」。これが“仕事”なんだと思いました。
レジでは、品物やお客さまに合わせて無料の袋に入れたら、「さすが○○さんだね」と褒められたことも。同僚には、「助かった、ありがとう」「こんなにできて、すごいね」と感謝や褒める言葉を伝えながら、いい関係が築けています。職場での時間がやりがいと喜びにあふれたものになり、充実感を身いっぱいに味わっています。
人のために惜しみなく
最近、神の教えで気付いたのは“欲心”です。「収入がもっとあれば…」という思いがありましたが、一人暮らしで、健康で働けているのだから、もう十分満足でしょ。孫にお菓子が買えればいいかな…くらいに気持ちが変化。今までの人生、「何で私が…」の心に、どれほど苦しめられてきたか。しかし、その心が変わったら、こんなに毎日が楽しく過ごせるなんて思ってもみませんでした。
2歳の孫が、「おばあちゃん」と笑顔で声を掛けてくれるだけで極上なひととき。人のために惜しみなく関わる生き方を心掛けて、家族や縁のある人たちと共に、楽しい毎日を重ねていきたいです。



仕事――
「運命」の力を社会に奉仕し
多くの出会いを生かし合って
成る果(もの)
「教え」を人生の支えに生きるほど
人間は欲心のとらわれから
解放されて
「運命」の力を
社会に奉仕する存在と成る
真の生きがいを手にした人々は
神の手の中
人生(こころ)守られ
「夢」を抱いて生きられる
『真実の光・神示 令和5年版』72ページ(中略あり)


