No. 1721

難病を患って気付いた
「命」あるありがたさ

(大分県HO/60代男性/アルバイト) 

私は短気な性格です。けんかの仲裁に入ったのに、自分もけんかを始めてしまうほど。正義感が強く、人の言動が気になると、頭に血が上ってしまうのです。ただ、「私の方が正しい」とは思っても、いつも後味の悪さが付きまといました。「あんなに怒らなくてもよかったかも」「もっと違う言い方があったかな」と。自分ではどうにもできなかった短気な性分。カチンとくるたびに祈願するうち、頭にくることが減っていきました。けんかがぱたりとやんで、周りの人から、「穏やかですね」「腹を立てることがないですよね」と言われるまでに。変わるはずのない心の動きも、神ががっちりお守りくださることを実感し、安心感を味わいました。 

難病でも、驚くほど冷静で…

「心が変わる」ありがたさを感じ始めた頃のこと。普段、糖尿病を見てもらっている病院に、予防接種を受けに行きました。しかし、熱のため、注射はなしに。その時、医師が、思い付いたように「血液検査をしておきますね」と言ったのです。翌朝、医師から電話がかかってきました。「血小板が通常の60分の1しかありません。大きな病院に行ってください!」と。さらに、総合病院からも、「入院の準備をしてきて…」と連絡がありました。 

全てが、あれよあれよという間の出来事。精密検査の結果、「血小板減少症」という難病と分かりました。止血ができないため、擦り傷一つも命に関わるとのこと。けがをしないように、売店に行くこともできないほど、行動制限がかかりました。本来の私は、極度の心配性です。「どうなってしまうんだろう」と気に病み、おびえても仕方のない状況でした。でも、この時も、神が心をお守りくださいました。驚くほど冷静で、病気になったのなら治すしかない。しっかり治療しようと前向きでした。 

次々と感謝が湧き上がって

病室では、教会図書『生命の歩み』を、毎日読み続けました。見えてきたのは、体が弱い、本来の自分の姿です。昔から病気がちだったのに、神と出会い、教えを生かそうとしていく中で、どんどん健康になっていった私。申し訳ないことに、体が弱かった過去など忘れてしまっていたのです。 

60代になって、うつ病、糖尿病、関節炎など、次々と病気が見つかりました。そして今度は難病まで…。短気で、人と争い、傷つけた。自分の生き方が、病気を引き寄せてしまった。そう思ったら、心の在り方を高めるしかないと気持ちが定まりました。すると、感謝が湧き上がってきたのです。病気が発見される前に、もしけがをしていたら…。治療が受けられるのも当たり前じゃない。生かしていただいているのだと。以前なら、「挨拶したのに、返事もしないなんて!」と怒っていた場面でも、心は全く乱れません。自分が挨拶できたことだけで、ありがたく感じるのです。 

一日一日を大切に生きたい

心と体は連動していると学んでいるとおり、見る見る体調が安定し、1カ月半の予定を繰り上げ、1カ月で退院。その後の通院では、医師から「絶好調ですね」と言われるほど、元気です。 

先日、「桜が咲いた」というニュースを見ました。以前なら、「ふーん」で終わっていたでしょう。それが、「春を迎えさせていただいた」と、感謝と感動が胸いっぱいに広がりました。短気で、心配性のままだったら、きっと乗り越えられなかっただろう、今回の病。神に命を頂きました。これからは、病気を寄せ付けない、豊かな心で過ごせるように…。生かされている感謝を忘れず、一日一日を大切にしていきます。 

運命実体で生きる人間は
 「真理」に気付きを得て
   「実体」を修正する努力が
           どうしても必要
人・物との出会いを
   感謝心で受け止め
      互いの運命が調和してゆく
 そこに
 「生きる」自信と勇気が芽生え
   「運命」に重なる心が
           体を健康にする
 病気は
   心を明るく保つことで
     自然と遠ざけることができる

『真実の光・神示 令和4年版』71ページ(中略あり)