No. 1706

夫の思いに目を向けて
愛をかけ合える夫婦に

(栃木県TS/70代女性/会社員) 

一つ屋根の下に住んでいても、夫は夫、私は私。そんな生活を40年以上も送ってきました。夫はワンマンで、頑固で、私を家にいさせたがる人。その束縛から逃げたくて、私の気持ちはどんどん外に向き、仕事にやりがいを感じていったのです。 

いつでも“私は私”の感覚が

定年退職し、家事と病院通いの日々を過ごす夫に向ける気持ちは、治療費がかさむ不満。だけど、“自分は充実しているからいいか”。この時も、夫のことはそっちのけで、“私は私”でした。 

ある日、夫が脳梗塞で倒れて入院。半身にまひが残りました。心配で見舞いに通いましたが、リハビリを嫌がる夫に、「何でやらないの!」とイライラ。家に一人でいる解放感が快適で、「このままでもいいかも」と思っていたのです。 

見えてきた“夫の心”

そんな私に乳がんが見つかり、教務相談を受けた時のこと。自分の生き方の“ズレ”を知るとともに、見えていなかった夫の心が、次々見えてきたのです。嫌で仕方なかった束縛の裏には、そばにいてほしいという私への愛情があったのでは…。一つ屋根の下に住んでいる“だけ”の関係で、寂しかったのだろう。リハビリも、思うようにいかなくてつらかったのかもしれない。なのに、私はいつも上から目線で、妻として寄り添う心なんて全くありませんでした。夫を嫌い、責める、不健康な心こそが病を引き込んでいたと分かったのです。

幸いがんは初期で、手術も成功。息子が付き添ってくれた時、思いました。家族が一緒にいてくれるだけで、こんなに安心するものなんだ…と。何でも自分でやってしまう私が、病気になって初めて、一人で生きるのは、寂しくて苦しいことなんだと知ったのです。教務相談で言われた「家族に愛をかけるのですよ」の意味が、やっとつかめました。夫や子供がいてこそ自分がいると分かったら、愛心、愛語で関わりたい!と心底思えたのです。 

互いを思いやる会話が

施設に入所している夫は、少しろれつが回りませんが、電話で話すことはできます。朝は「きょうも頑張ろうね」、夕方は「一日お疲れさま」と伝え合い、その日の出来事を語り合うのが日課に。かわいがっていた飼い猫の動画を見せるとうれしそうで、髪を切った夫に「格好いいね」と冗談めかして笑い合うこともあります。 

「こんなふうになって申し訳ない」と言う夫の気持ちを、「大丈夫だから」と受け止められた私。夫が「運転に気を付けるんだよ」と優しく掛けてくれる言葉に、「ありがとう」。互いを思いやる会話は、心がほわっと癒やされて、離れていても、ちゃんと心がつながっていると感じます。 

家族と愛の心で関わりたい

夫は夫、私は私だったのが、今は「少しでも一緒に長生きしたい」「もっと寄り添いたい」思いでいっぱいです。夫や子供に、「ありがとう」「お願い」「助かる」が、自然と言えるようになって、何とも心が穏やかです。乳がんも完治しました。限りある命を、夫に尽くせる妻になって、子供にもいい生き方を見せたいです。家族との時間を大切に、愛の心で触れていきます。

「教え」に生きる決意を持って
  心正しい「信者の道」ゆく我であれ
 この思いが
  我が「運命」の力をもって
    相手の人生を
     支え 補う心(愛)を
             芽吹かせる
「教え」のある家庭に
    夫婦の運命は重なり
  互いの実体を
   「真理」に生きて高めることに
           気持ちが向かう
 二人の会話も深まり
   共鳴 共感し合う人生が
            始まってゆく

『真実の光・神示 平成31年・令和元版』19ページ