(東京都KO/50代女性/パート)
クリニックで受け付けをしています。数年前、診療報酬を計算する業務に携わるようになりました。一緒に引き継いだ同僚は慎重派。納得しないと進みません。「今それをやっていたら間に合わないよ」と声を掛けることもしばしば。そのうち、「仕事が分かる人に…」と、私に回ってくる業務が増えていきました。
「彼女に頼むなら、自分でした方が早い」。そう考え、一人でこなしながらも、心の中は、同僚への不満とイライラでいっぱい。ミスを伝えれば、「私はこの仕事をしない方がいいのね!」と怒り出します。もう関わりたくない…と、会話する気持ちもなくなっていきました。仕事をそつなくこなせるなら、それでいい。モヤモヤしたまま、数年が過ぎたのです。
初めて気付いた根本原因
ハッとしたのが、年頭の祈願祭。「イライラするほど、物事がうまくいかなくなる。視野が狭くなって、一番大事なことが見えなくなる」と伺い、私が今、気付くべきことだ!と衝撃を受けました。重ねて、人として必要な心を身に付け、良い年にしてほしい…との呼び掛けにドキッ。同僚と距離を置くばかりで、関わり方を変えようともしない。そんな自分が恥ずかしくなったのです。「今年こそ、豊かな心になりたい」と決意しました。
そんな中で気付いた、自分の根本にある“人を批判しやすい”感じ方。相手のできること、良い面は全然見ないで、間違いばかりに目が向く…。「それは違う!」と思ってしまう…。この感覚を修正すべく、本気で「変わりたい」と神に訴えていきました。
相手の心に目が向いたら…
程なくして、びっくりすることが…。「え?」と感じることでも、「相手なりの理由があるはず」と思えるようになったのです。同僚の慎重さのおかげで、うまくいっていることもたくさんある!と見方が変わっていきました。例えば、ワクチンの手配も、彼女は必要になるたびに発注。手間はかかりますが、いっぺんに注文すると、数がそろうまで待たされることも。彼女がいるから、確実に用意できているんだ…。感謝まで湧き上がってくるのが不思議でした。
毎日を楽しく過ごせる仕合せ
最近は、自然と優しく「おはよう」と声を掛けている私がいます。彼女も、明るく返事をしてくれて、穏やかな雰囲気に。退勤時には、一日楽しかった…と思えるのです。少しずつ気持ちが通い始め、私にとってはまさに奇跡です。
「ここ間違ってない?」と明るく言えば、同僚からも「ごめん、ごめん」と返ってくる。やり方が違っても、ミスがなければ問題ない。それなのに、きつい口調で自分のやり方を押し付け、反発心を引き出していたのは私でした。このように気付けたことも、私には大きな前進でした。
神の教えは、まるで、自分の心が見える鏡のよう。今、私はどんな心をしているのか…。折に触れて見詰め、生き方を磨き、高めていきたいと思います。



「教え」を学び
「人生(こころ)」の支えに
「生きる」
努力を重ねる
神示を読み込み
気付いた心(おもい)を
祈願を通し 神に誓う
自然と 心は安定し
家族・縁者 多くの人々との
出会いが生きる
そこに 信者は 実体を高めてゆく
『真実の光・神示 令和6年版』10ページ


