No. 1679

“まさかの落選”が
人生の大きな分岐点に

(佐賀県KU/60代男性/陶芸家) 

陶芸一筋50年。ここ最近は、県展に4年連続で入選、入賞と、陶芸家として評価していただくようにもなりました。ところが、今年も!と意気込んでいたのに、何とまさかの落選。窯から出した瞬間、「今までを超えた!」と感じ、周りの専門家も認めてくれた最高の自信作だったのに…。「何で? どうして?」「審査員は、ちゃんと評価してくれたのだろうか?」と、心は不信感でいっぱいに。夜も眠れないほどでした。 

妻との会話で心を立て直せて

そんな私の思いを、全て妻が聞いてくれたことが、ふと立ち止まるきっかけになりました。もし、正論を言われていたら、「そんなこと分かってる!」と反発していたかもしれません。それが、「そうよね」「あなたの作品も悪くないのに」と、つらい気持ちを受け止め、寄り添ってくれました。おかげで、話をするうちに心が落ち着き、そもそも何で出展するようになったんだっけ…と、自分を見詰められたのです。 

出展した動機は、「400年もの間、代々の陶工がつないできた技法を、皆さまに見ていただきたい」という一点だけ。それなのに、いつしか賞を取るには…、取れたら次も…と、“もっともっと”という欲心にのまれていたのです。「自分が作りたい作品ではなく、日常生活で使いやすいような、皆に役立つ物を作る」。陶芸家として独立する時に、教務相談で教えていただいた原点を、危うく見失うところでした。 

原点に戻って物作りを

初心に返って、器を手にされる人のことを思い、使い勝手がいいように、一点一点心を込めて作製。ただそれだけなのですが、お客さまの反応が違うのです。「この間買った品物が使いやすかったので、もう一つ」とリピートしてくれる方が増え、同業者が驚くほど売り上げも伸びていきました。 

何より、朝市で販売している妻が教えてくれる、お客さまの様子が製作のエネルギーに。「どれもいいから迷ってしまう」「良い物が買えた」と喜ばれている話を聞くほど、一つ一つの工程にますます心がこもるのです。 

自分の果たす役割がはっきりと

若い頃、仕事が長続きしなかった私。親も心配する中、近くにできた窯元に入ったのが陶芸人生の始まりでした。幻といわれる技法や、希少な原料との出会い、偶然この場所に引っ越してきたこと。どれか一つ欠けても、自分はこの仕事を続けていなかった…。不思議な巡り合わせに、“受け継いだ技術で、現代に必要な物を生み出すこと”。「それがあなたの役割、頑張りなさい」と、神様に言われているように思えてなりません。 

落選しなかったら、名誉や陶歴にこだわる人生で終わったと思うと、大きな分岐点だったと感じます。人の評価にのまれやすいという自身の弱さ。でも、弱点が出た時に修正できれば、生き方を高めていける。荒れた心で生きて、人生をおとしめずに済む。自分がブレなければいい…。軸が定まったら、審査員への不信感はきれいに流れていきました。落ちて良かったとさえ思えます。 

今、心は晴れ晴れ。50年の節目を前に、自分の使命がはっきり分かり、迷いはありません。これからも、人のために役に立つ物作りに励んでいきます。

仕事――
 「運命」の力を社会に奉仕し
   多くの出会いを生かし合って
           成る果(もの)
「教え」を人生の支えに生きるほど
  人間(ひと)は
    欲心のとらわれから解放されて
  「運命」の力を
      社会に奉仕する存在と成る
真の生きがいを手にした人々(ひと)は
  神の手の中
    人生(こころ)守られ
      「夢」を抱いて生きられる

『真実の光・神示 令和5年版』72ページ(中略あり)