No. 1640

目指す姿を残して
安らかに旅立った母

(横浜市YT/60代男性/無職) 

ことしの正月、「おいしい」と笑顔で食事をしていた94歳の母。その1週間後、膵臓(すいぞう)がんの末期と分かったのです。しかも、残された命はわずか…。 

最後まで精いっぱい尽くしたい

物心ついた頃から信者で、我が家はたくさんのことを救われてきました。体の弱かった私も…です。母は、神を信じ、教えを学んで、救われた感謝の厚い人。そして、高齢になっても、子供や孫の誕生日には、カートを引いてケーキを買いに行くような愛情深い人でした。身内の縁も大事にし、いつもみんなの仕合せを願って動いていました。 

晩年は、家族を温かく見守りながら、ゆったりと暮らし、「ありがとう」が口癖に。心から尊敬でき、見習うべき姿の塊である母が大好きで、ずっと親孝行したいと思っていたのです。だから、最後まで精いっぱい尽くしたい気持ちでいっぱいでした。 

みんなで和やかな時間を

入院中、要介護4となった母。「家に帰りたい」と言うので、きょうだい3人で相談し、みんなで協力しようと、自宅でのみとり看護を決めたのです。兄弟で営む不動産業は兄に任せ、日中は私が母の元へ。夜は同居している兄が寄り添い、妹は仕事の合間に、私の妻や子供たちも献身的に尽くしました。一時一時を大事にしながら、母と家族との和やかな時間が流れました。 

「本来なら、とても痛いはずなのに…」と医師が驚きましたが、母は痛みを訴えることがありませんでした。それは、膵臓がんでは珍しいとのこと。母が苦しむ姿を見ていたら、きっと自分たちもつらかったはず。そうならなかったのは偶然ではない。心が休まる家庭があれば、体にも良い影響を及ぼす…との神の教えどおり。家族みんなが一つになって、明るく前向きでいられたのも神のお守りあればこそと、感謝でした。

母の願いが心に響いて

寝ている時間が多くなった頃、母の元にきょうだい3人が集合。その時、母は目を大きく見開いた後、安らかに息を引き取ったのです。みんながそろうのを待っていたかのような、不思議な出来事でした。「お母さん、あっぱれな最期だったよ」そう語り掛けると、これまでの感謝がいっぱいに込み上げて、涙がこぼれました。 

母が亡くなったのは、真実の光会館に神の座と仏の座をつなぐ内参道が完成した翌日。母の魂が、我が家の心の道が太くつながることを願って、「きょうだい仲良く、心の道をつなげてね」と言っているかのように思えました。 

残してくれた道を子孫に

母の介護に動いた2カ月間は、我が家の心の道を太くするための時間だったと思えてなりません。自我の強い自分が、“相手の気持ちを受け止めたい”という心にもなりました。きょうだい3人の心がぐっと近くなり、最近ではみんなで食事に行くことも。確実に縁が深まっています。 

最後の最後まで神に守られた母の人生は、本当に穏やかで、仕合せそうでした。私たちに生き方の手本を示してくれ、心の道に、素晴らしい宝をたくさん残してくれた母。その生きざまを大切に、みんなで仲良く、心を重ね合って、この道を子孫につなぎたい。それが、母の魂が一番安らぐ“恩返し”だと思うのです。

家族とは
 「心の道」を共に歩み
    因を実体として受け継ぐ関わり
この真実を深く悟り
    家族で「教え」を共に学ぶべし
この実践の中で
 自然と家族の心(運命実体)は重なり
   良き因を「心の道」に残してゆく
家が栄え
   人が育つ家庭(環境)の姿である

『真実の光・神示 令和2年版』26ページ