(兵庫県HI/60代女性/主婦)
「何のために結婚したん?」。昔、吐き捨てるように伝えてしまった私。それを聞いた夫は、じっと黙っていました。
40年ほど前、結婚当初から夫は仕事が忙しく、帰宅は22時、23時。その上、休日は実家の農作業を手伝いに行ってしまいます。子供の話をすることはあっても、ゆっくり…なんて時間は皆無。私にすれば、夫にとっての家は「寝るだけの場所」。家族って何…。どうしてもっと関わってくれないの…。不満を募らせては、夫を責めていたのです。そんなとき、夫はいつもだんまり。何か言おうものなら、私から倍になって返ってくると分かっていたのでしょう。
「自分を省みる視点」が持てて
我が家が変わり始めたのは、兵庫に偉光会館が開所してから。家族で神の教えを学ぶうち、自分を省みる視点が持てるようになったのです。短気や責める心が出ないように取り組んでいきました。そんなある日、勉強会で、「自分にできることは惜しみなく、気持ちよく行う」と学んだ際、何より先に、夫の姿が思い浮かびました。夫は、人に何か頼まれると、ものすごく気持ちよく手伝う、奉仕心の塊のような人。だから、地域の草刈りなどは、夫の予定に皆さんが合わせてくれる。それくらい周りから頼りにされているのです。
思えば、家でも、私の頼みに嫌な顔をしたことがない、とっても「できた人」。私が欠点と感じていたところは、実は長所でした。同時に気付いたのが、常に損得に思いを巡らせている自分の姿…。できることをやってはいても、「何で私ばっかり」と思うこともあったと、恥ずかしくなりました。自分にない良さを持っている夫。それに気付いて以来、夫を見る目が180度変わったのです。
素直に頼ってみたら…
考えてみたら、頼めばやってくれるなら、私から頼ればよかっただけ。なのに、素直に頼れず、「自分でできるから大丈夫」と思ってしまう。その上、「夫なんだからやって当然」「そっちから関わってきてよ」「もっと気付いて」と、つい上から目線の感覚に。自分の求める姿と異なるだけで責める。私の方がズレていたのです。
それからは、素直に夫を頼ることを心掛けました。以前は、電化製品が壊れても、「買い換えたよ」と事後報告。でも、まずは夫に、「調子が悪いんだけど、見てもらえる?」。ちょっと体がしんどいときも、「洗い物、お願いしてもいい?」。もちろん、「ありがとう」も心を込めて伝えます。日常のそうしたささいなやりとりから、自然と会話が増えていきました。
夫の喜ぶことを考えるように
もう一つ大きく変わったのが、「何をしたら、夫が喜ぶかな」と考えるようになったこと。大したことはできないけれど、心を込めて料理したり、夫が好きそうなドラマを録画してあげたり。そんな日々の中、よく見るようになった夫の笑顔。「おいしそうだな」と言いながら食卓に着き、一口食べて「ごっつおいしいよ!」。食べ終わると、「おいしかったわ!」と言いながら、後片付けまで。家の中の雰囲気が全く違います。
最近では、「子供たちに良い生き方を残せるように、心を磨こうね」「お手本にならないとな」と二人で話し合っています。同じ人生の目標を持って歩めることが、とても仕合せです。家族と過ごせる時間は有限。だからこそ、一緒にいられる一日一日を大事にしていきます。
「教え」を心(人生)の支えに生きる
努力をする
自然と心(気持ち)は安定し
物 事の見方が変わる
相手 状況を変えるのではなく
自分の心を変えることが必要
「教え」に生きるほど
「心」は変わり 生活環境が好転する
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』128ページ(中略あり)