台湾生まれの母は、水商売をしながら私を身ごもり、未婚のまま出産。父はアメリカ人と聞いています。私は、子供の頃から、見た目と母の仕事のことで、随分いじめを受けました。自分を好きになれず、コンプレックスの塊状態だった私。そこに追い打ちを掛けるように、母から浴びせられた言葉。「おまえを生まなければ良かった」。この瞬間、私は母を一切受け入れられなくなったのです。
孤独だった心に染みた神の教え
母が大嫌いで、母を嫌う自分も大嫌い。結婚を機に、逃げるように地元を離れました。ところが、夫は短気で、借金を繰り返し、私に手を上げるようになりました。義母との関係もうまくいかず、ご飯を作ると、「こんな物、食べられない」と言われました。でも、実母のあのひと言よりは耐えられたのです。
頼る人も、味方もいない毎日。その頃、この神を知りました。夢中で祈願し、夢中で神示を読みました。日本語が堪能ではない私には、難しく感じましたが、「自分を愛することで、人にも愛をかけられる」という内容は、深く心に残ったのです。
少しずつ変わり始めた人生
その後、夫とは離婚。3人の息子を育てながら、溶接などの力仕事をしました。物覚えの悪い私は、一生懸命頑張っても、苦手なことがあります。とはいえ、「自分は駄目人間」という思考回路が変化し、「これは苦手だけど、得意なこともある」と気付くことができました。少し、自分を好きになれた気がしました。
ある日、義妹から連絡があり、元夫はがんで余命数カ月、義母は認知症と言うのです。それを聞いた時、縁があった人たちだから…と、会いたい気持ちになったのが、自分でも本当に不思議です。やがて夫を見送り、義母とのわだかまりも消えましたが、どうしても実母のことは許せませんでした。「お母さんのおかげで私がいる」と頭では分かっても、絶対に好きになれない心があり、それをずっと祈願していました。
母との時間に仕合せを感じて
昨年、会社から2週間、有給休暇を頂きました。自分でもよく分かりませんが、なぜかこの時、「お母さん、どうしてるかな」と思い、会いに行ったのです。
認知症が進んだ母は、体が小さくなっていて、私のことは忘れていました。でも、なぜか「かわいい」と感じました。過去にこだわるより、今、母との時間を大切にしようと思ったのです。私が世話をすると、「どちらさんか知りませんが、親切にしてくれてありがとう」と喜んでいました。すぐ帰るつもりが、結局ずっと母と過ごした2週間。最後には、私のことを思い出し、優しく名前を呼んでくれたのです。
「お母さん、生んでくれてありがとう」と感謝できる私。「次の人生も、夫と結婚したい」と思えた私。仕事で「中国人の通訳をして」と頼られて、喜びを感じる私。神との出会いが、心を180度変え、自分の存在に自信を持たせてくれました。生まれて初めて、「生きていく喜び」を味わっています。
「教え」を学び 「人生」の意味を正しくつかむべし
「教え」が「心」にゆとりを持たせ 人との出会いを大切にする「心」を引き出す
自然と「人生」に自信が芽生え 自ら社会と関わる勇気が持てる
「教え」を学び
「人生」の意味を正しくつかむべし
「教え」が「心」にゆとりを持たせ
人との出会いを
大切にする「心」を引き出す
自然と「人生」に自信が芽生え
自ら社会と関わる勇気が持てる
『真実の光・神示 令和2年版』108ページ