(佐賀県YF/60代女性/無職)
「すぐに手術しないと、数十分後には命がありません」。15年前、自宅で倒れ、運ばれた病院での驚きのひと言。急性大動脈解離でした。心臓の部分だけ手術したものの、他の場所は残ったまま。4センチでも大ごとなのに、私のこぶの大きさは、何と6.8センチ。破裂してしまうのは、もちろん大きなリスク。でも、手術をしても、後遺症のリスクが高いのです。どちらにも踏み出せず、病と共に生きる人生が始まりました。
この生き方でいいの?
振り返れば、人と接点を持つのが苦手で、一人が大好き。独身を貫いてきた私です。その根底にあったのは、心が安らぐ家庭とは程遠い環境。両親はけんかばかりで、いつも思っていました。「早く家を出たい」「死にたい」と。父も、兄も、ギャンブルで借金をつくり、その肩代わりもしてきたのです。家族と関わりたくないのですから、外でも当然そう。人間関係で悩むのが嫌で、人を避けてきました。
でも、九死に一生を得て、自分に問うたのです。「この生き方のままで、いいの?」。
自然と人に関わる気持ちが
そんな私を変えたきっかけは、神の教え。「全ての能力は、相手があってこそ光るもの。人との関わりの中で自分の良さ(運命)が磨かれ、悪い実体(気質、体質)も直していける」。おかげで、人の輪に入る勇気、積極性が湧いてきたのです。
まずは、家族から…。ということで、同じ敷地内に住んでいる兄家族に、何かと声を掛けていきました。
多めに作った料理を持っていったりするうちに、甥(おい)や姪(めい)も手助けしてくれるように。旅行のお土産をもらうなど、交流が深まるにつれ消えていった、兄を嫌う気持ち。ちょうどその頃、年の近いいとこが東京から地元に戻ってきました。活動的な彼女が、美術館のイベントや映画のエキストラ参加など、いろんなことに誘ってくれるので、出会いが一気に広がっています。かつての私には到底考えられないことですが、誘われると、「多くの人と縁を深めたい」と思える自分に変わったのです。
関わるからこそ磨かれる
料理教室に参加した時のこと。私たちのグループの鍋が足らないことに気付いた隣の人が、「貸しますよ」と声を掛けてくれました。しかし、私のグループのある参加者が「大丈夫です」と言い張って、断ったのです。その姿は、まるで過去の自分のよう。頼るのが苦手で、「ありがとう、助かる」の言葉が出ない。相手の好意を気持ちよく受け入れるのも、調和の心だなあと、気付きました。やっぱり、人と関わってこそ、さまざまなことに気付けて、人柄が磨かれると痛感したのです。
「健康な心」を守られて
今も、6.8センチの巨大な大動脈瘤(りゅう)と共に生きています。それでも、普通に暮らせていることに、周りの人からは不思議がられています。とはいえ、医師には「さすがにそろそろ手術しないといけないね」と言われました。それなのに、不安性な私が、全く不安にならず、落ち着いて受け止められます。教えの実践をいつも心掛けているから、必ず神が守ってくださると思うのです。家族と縁を深め、日々心穏やかに過ごせる今、体に病はあっても、心は健康そのもの。明るく強く、これからも生きていきます。
「教え」で関わる家庭を築く
努力をするべし
自然と心は安定し
感謝の思いが
「人生」の迷いを消してゆく
成すべきことは
奉仕の心を知って
出会いを生かす心を欠かない
気持ちは 明るく 強く
人々(ひと)に関わる思いが
深まってゆく
この時に 人間は
真の健康を手にできる
(令和6年2月23日 信者心の基勉強会 健康編『友輪』341号18ページ)