(兵庫県MK/60代男性/無職)
人工透析が必要になったのは5年前。週3回通うため、やむなく仕事を辞めました。さて、これからどうするか。妻が働いているのに、自分だけ家でぼーっとしているわけにもいかない…。心に湧いたのは、「妻のために役に立てることはないか」。しかし、それは自分にとって、とてつもなく高いハードルだったのです。
見えていなかった自分の姿
「男は外で稼いでこそ一人前。台所に立ったらいかん」というのが私の信条。妻への言葉は「お茶!」「風呂!」「飯!」。皿に汚れが残っていれば「もっときれいに洗わんか!」。夫婦の間で温かい会話などなく、冷たい空気の我が家でした。
そんな私の転機は、教会で学んだ後の「語り合い」。見えてきたのは、我が身中心の自分と、生き方のズレ。高圧的な言い方で、妻の気持ちを全く考えていない自分…にハッとしたのです。皆さんの体験を聞いて芽吹いてきた、「温かい会話のある家庭をつくりたい」「家事もやってみよう」という気持ち。「妻の迷惑になるかも…」と尻込みする私を、「やってみなよ」「喜んでもらえるから」とみんなが背中を押してくれて、一歩を踏み出せたのです。
夫婦の距離がどんどん縮まって
まずは洗い物から。不器用な私は、油物の片付けに1時間かかり、ご飯を炊くにも一苦労。食べるのは一瞬でも、こんなに大変なことを、妻は働きながらやってくれていたとは…。初めて皿洗いした日。「洗ってくれたん?」と言う妻に、「やってみて初めて分かった。今までありがとう」と、心から感謝を伝えました。以来、「きょう、こんなことがあった」から始まり、会話がどんどん増えていったのです。
毎日話していると、しょげてるな、しんどそうだなと、妻のことが分かるようになりました。「お疲れさま」「大変だった?」と言うと、「聞いて、聞いて…」。心の内を語ってくれるのです。丁寧に洗ったコップを出して、妻から笑顔で「ありがとう」と返ってくるのもうれしくて、家事がますます楽しいものに。ささいなことにも、「ありがとう」と声を掛け合える心地よさ。これが夫婦なんだなあと、しみじみ感じたのです。
仕合せの基は家庭だと
以前は、勉強会でバラバラに座っていた私たち。それが、当たり前のように隣同士に着席し、買い物も、何も「二人で」が自然。お手伝い扱いしていた妻が、今は愛(いと)おしくて、常に横にいてほしい存在となりました。夫婦の関係が変わったら、長男の体調も良くなり、息子たちが家に集まる機会も増えて…。家族との楽しい食事一つも、仕合せでなりません。
人工透析をしている身なのに、不安も、つらさもなし。不思議なほど、心が明るく、ニコニコ状態でいられます。そのせいか、患者さんが寄ってきて、話を聞いたり、励ましたり。病気だから…と生きる力が枯れるどころか、むしろ湧いてきます。「仕合せの基」と言われる家庭が、できてきたからなんだと実感。これからも、温かい家庭を、妻と二人で築いていきます。
――仕合せの基は 和のある家庭――
この一言「真理」心に留めて
人生歩む二人であれ
支え 補う気持ちを忘れてはいけない
――出会いに感謝し 思いを語る――
「家庭」が育む和心が
「真理」に生きる人を
つくってゆくのである
家族の心重なり合うほど
真の「仕合せ」
我が家に根付くと申す
『真実の光・神示 平成23年版』115ページ(中略あり)