(北海道MS/70代男性/無職)
中学を卒業し、計量器メンテナンスの会社で働き始めて早60年。それは、私にとって「神の存在」を感じ続けた年月でもありました。
衝撃を受けた「教会の十教訓」
若い頃の私はといいますと、相手がガッとくると、カッとなって返す。とにかく短気なのです。でも、それくらい強い態度でなければ、やっていけない面もありました。
そんな私が信者になり、「何だこれは!」と衝撃を受けたもの。それは、「教会の十教訓」です。「和合」「裏切らない」「相手にも自由を与える」…。これができれば、どれほど良いでしょう。しかし、お客さまの中には、無理難題を言う人、怒鳴りっ放しの人…、いろいろなタイプの人がいます。それでも十教訓に沿った生き方ができるようになりたくて、祈願し始めました。
すぐにカッとしていた自分が…
その中で、忘れられない出来事がありました。台風で作業予定の物が納品されず、納期に間に合わせるのが難しくなった時のこと。お客さまに伝えたところ、なかなか納得していただけません。「自然相手だから仕方ないじゃないか」。昔の私ならこう思ったでしょうが、相当困った様子の先方を見ると、「一緒に何とかしたい」と、和合のような気持ちが込み上げてきました。
すると、何と翌日、我が社に品物が届き、すぐ作業に当たれることに。仲間はもちろん、そばにいた人がみんな手伝ってくれ、何とか納期に間に合いました。「徹夜したのか」と驚かれるほどのスピードで、お客さまに大変喜んでいただけたことを、今でも思い出します。
信者になって味わう喜びの数々
信者として歩む中、私は、自分の心が「動じなくなった」ことに気付き始めました。お客さまが強い態度でも、その人が何を望んでいて、何が不安なのか。「心の内」を知ろう、知ろうと思いながら話を聞くと、いったん断られた取引も、「やっぱりあなたの所でお願いしたい」と連絡を頂く…という不思議を、幾度となく体験しました。「対応が素晴らしい」と褒めていただけることが、私の誇りとなっていったのです。
本来は60歳で定年退職となるところ、取締役に…と推薦していただいて15年。75歳になったことし、退職しました。挨拶のために親会社に行くと、皆さん総出で出てきてくださり、こんなに思ってもらっていたんだと、感謝しかありませんでした。
仕事一筋だった分、妻や娘には寂しい思いをさせた反省もあったのですが、退職祝いにと、娘夫婦が温泉旅行に誘ってくれました。「お父さんのおかげで今の私たちがある」とまで言ってもらい、感無量です。神と共に積み重ねてきた私の人生。心穏やかに過ごせる仕合せを、年々強く感じます。
「教え」を学び
「真理」に悟りを得るほど
人間は 「運命」の力を
世(社会)に奉仕する人を目指す
目指すほど 「心(運命)」は磨かれ
万人 万物を
優しく包み 受け入れる
心(実体)が芽吹いてゆく
真実 「奉仕」に生きるとき
「運命」は 神の手の中 守られて
生涯 人との出会いを生かして
生きがい多い人生を歩んでゆける
『真実の光・神示 令和2年版』41ページ(中略あり)