93歳になる父は、昭和のおやじの典型のような人で、私が子供の頃は、気に入らないことがあるたびに、ちゃぶ台をひっくり返していました。短気で、黙ってプイと出掛けては、酔っ払って帰宅。祖母や母には手を上げる…。そんな父が嫌いで、結婚後は距離を置きました。ところが、私が5年前に離婚。実家に戻り、両親との三人暮らしが始まったのです。
十教訓で広がった心の視野
「神の教えで親子として生き直そう」と思いました。なぜなら、「帰っておいで」と温かく迎えてくれた親がいたから。母だけでなく父も…だったのです。
意識したのは、教会の十教訓です。一つ目は、「肉親、身内、近所同士は、和合せよ。和合に努めよ」。一つ目からできていない私…。「父が家族の和を乱す」と思っていたけれど、その父に反発し続けてきた私も、和を乱していたかも…と思いました。
両親と和を持って暮らしたい。そして、その「和」を子供たちにつなげたい。見方が変わってくると、父ほどではないにしろ、私も短気。似た者親子と気が付きました。
ひと声掛けるところから
「和合」の基本となる会話から見直しです。「家族だから言わんでも分かるやろ」と決め付けるのは不和のもと。「ひと声掛ける」を始めました。体のあちこちが痛む父が、思わずくすっと笑えるようなひと声です。電球交換を頼まれた時、無言でやるのではなく、「すぐに変えんなんと、幽霊屋敷になってまうな」と言うと、父は、殊の外うれしそうに反応してくれたのです。
ある時、私が偉光会館に行く支度をしていると、父がそばに来ました。信者籍はありませんが、「一緒に行く?」と尋ねると、「そうしよか」と穏やかな返事。それから程なくして、両親そろって信者になったのです。
3人で過ごせる日々が仕合せ
2人の光輪の儀(結婚記念の儀式)と、私の60歳の神魂の儀を、一緒に受けた日のことを、今も思い出します。「両親がいてくれたから、ここまで来られた。今は親孝行の機会を頂いているんやな」。儀式を通して増していく深い感謝が、過去の思いも清めてくれました。
「あんたがいてくれて良かった」と、両親は言ってくれます。先日は、母が、「生まれ変わっても、また親子になりたい」と、うれしい言葉を掛けてくれました。「私のお母ちゃんは、お母ちゃんしかおらんよ」と伝えると、「そしたらやっぱり、お父ちゃんも大切にしていかなあかんな」と母。思わず笑顔がこぼれました。父と母がいてくれるおかげで、今ある私の人生。親子3人で穏やかに過ごせる毎日に、心から感謝しています。
――「教え」に触れて 悟りを得るほどに 我が存在は光り輝く――
我が家の「心の道」がつながって 会話あふれる家庭が築かれてゆく
「教え」が信者の心に 気付きを与え 「心」明るく 強くなる
「奉仕」に生きて 人は 「運命」が導く人生を歩んでゆける
――「教え」に触れて
悟りを得るほどに
我が存在は光り輝く――
我が家の「心の道」がつながって
会話あふれる家庭が築かれてゆく
「教え」が信者の心に
気付きを与え
「心」明るく 強くなる
「奉仕」に生きて
人は 「運命」が導く人生を
歩んでゆける
『真実の光・神示 平成30年版』55ページ