「亭主元気で留守がいい。この感覚は違いますよね」。勉強会の中で、ドキッとした言葉です。といっても夫婦不仲なわけでなく、普通の仲良し4人家族。ただ、子供たちのことは私の一存で決めることも多く、しょっちゅう家にいられるより、「夫がいない方が気楽」。周りの友人を見ても、それが普通の感覚と思っていたのです。
何十年ぶりに込み上げた愛情
あらためて見詰め直すと、夫に言い過ぎ、求め過ぎ。「前にも言ったよね」などと、責めることもしばしば。ずっと改善できずにいた数々の修正点が見え、「夫との関わりが私の課題」と素直に思いました。
「愛ある心になりたい」「物事を大きな心で受け止めたい」。自分の生き方を本気で正そうと思ったら、祈願が変化。すると、伝えたことを忘れられても、全く心が揺れなくなったのです。子供のことも、夫に話すようにしたら、「2人で見守っていこう」と言ってもらえて、どれほど安心したことか…。1人で気をもんでいた時とは全然違う、心地よさがあったのです。
そんなある日、日課のマラソンに出掛けた夫の帰りが遅く、探しに行ったことがありました。心配でたまらない私の目に飛び込んできた夫の姿。「いた! 良かった」。心底ホッとしたのと同時に込み上げたのは、「こんな感覚、何十年ぶり?」というほどのいとおしさ。夫も、「迎えに来てくれたの?」と目を輝かせていました。
帰宅後は、娘が夫の足をマッサージ。見慣れた風景が、なぜか心に染みて、「仕合せ」としみじみ思いました。そうしたら娘が、「ママ、仕合せだね」と言うではありませんか。あまりのタイミングに、見えなくても、夫婦の心の重なりは、確実に子供に伝わることを実感しました。
「やるぞ!」の心一つで大変化
さらに、信者仲間との会話から、思いを伝える大切さに気付き、「私もやろう!」という気持ちに。愛ある心は意識できても、言葉にするにはもうひと頑張りと、ますます意欲が湧いたのです。「いとおしいと思ってる」。意を決して伝えると、夫は、何だかとても仕合せそうでした。私自身、温かい気持ちが胸いっぱいに広がり、「この心を持ち続けたい」と思ったのです。
近頃、夫に同じことを何度も言うことがなくなりました。それは、夫が私の話をちゃんと聞いてくれているから。求めなくても、自分が変われば、相手も変わる。確かな手応えを感じています。娘たちも、「家の雰囲気がすごく良くなった」「家族愛が止まらない」と喜んでいます。
夫が家にいてくれることがうれしい。神の教えを学び、気付いたことを「やろう」とするだけで、これほど変わるなんて…。新たな年も、ますます喜ばしい変化を味わえるように頑張ります!
社会の知識に 当然の姿を求めてはいけない
「教え」を学び深めるほどに 人は気付きを深め 正しい関わりが持てる
――家庭は 人の心(運命実体)を磨き 高め
悔いなき人生を歩み抜くため 必要な環境――
社会の知識に
当然の姿を求めてはいけない
「教え」を学び深めるほどに
人は気付きを深め
正しい関わりが持てる
――家庭は
人の心(運命実体)を
磨き 高め
悔いなき人生を歩み抜くため
必要な環境――
『真実の光・神示 令和3年版』17ページ(中略あり)